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すずめの戸締まりは意味不明で薄っぺらい映画?伝えたいことについても

映画

『すずめの戸締まり』は、2022年に公開された新海誠監督の最新作。

たくさんのファンを感動させた映画ですが、「意味不明」「薄っぺらい」と言われてしまうことがあるよう。

いったいどんなところが意味不明なの?

そのほか薄っぺらいと言われる理由や、「監督が伝えたいこと」についてもまとめました。

参考になったら嬉しいです♪
(2024年3月時点の情報です。作品の重大なネタバレを含んで作成しています。ご注意ください)

【すずめの戸締まり】ここが意味不明

『すずめの戸締まり』は、新海誠監督の集大成・最高傑作とも持ち上げられている映画。

『君の名は。』『天気の子』を超える大ヒット作になるのでは?とファンから大きく期待されていた作品です。

ところが一部の人からは「意味不明」「よく分からない」という意見が。

どんなところが意味不明と言われてしまうのでしょうか?

主人公の行動が意味不明

主人公・鈴芽の言動や行動に共感できない、行動原理が理解できないという意見がありました。

「スタートから15分位の主人公の行動原理が意味不明すぎて、もうそれからずっと無理だった」
「すずめの言動に共感できなかったし、”何で?””何でそうした?”の連続」
「主人公が戸締まりの旅に出る理由が意味不明だし、感情移入が全然できなかった」
「終始展開が強引で、キャラの行動動機もよくわからなくて入り込めなかった」

など、主人公やそのほかのキャラの行動が意味不明と感じる人が多かったようです。

新海監督の作品の特徴として、思い込みの強い主人公の暴走やご都合主義的な展開など、「無理やり感がある」ストーリーがあげられます。

その分キャラクターが可愛かったり、背景や音楽が素晴らしかったりという魅力があるのですが、主人公の行動に共感できないと物語に没入しにくいですよね。

とくに「意味不明」と言われている開始15分の鈴芽の行動は、
・見ず知らずの男性(草太)がイケメンだからという理由であっさり学校をさぼり、後をつけていく
・立ち入り禁止と書いてあるのにためらいなくバリケードを乗り越え廃墟の中へ
・どう見てもあやしい浅瀬に靴ごとじゃぶじゃぶ入って扉を開ける(雑)
・どう見てもいわくありそうな猫の石像を興味本位で引き抜く
→災いが起きたのは鈴芽のせい

…小学生男子が悪ノリしたのならまだ分かりますが、17歳の女子高生がこれらをやってると考えると、「意味が分からない」「なんでそうした?」と言われてしまうのも分かりますねw

無鉄砲すぎるし、あまり高校生らしい行動とは思えません。

この「行動原理に共感できない主人公」は、新海監督の災害三部作『君の名は。』『天気の子』にも通ずるものがありますが、今作の鈴芽はとくに「行動の理由がとってつけた感」「人間味が感じられない」「心理描写が少なすぎて感情移入できない」など批判されているようです。

ダイジンの行動が意味不明

ダイジンは、本作に登場する白い子猫。

可愛らしい見た目に反して、鈴芽や草太を振り回すキャラです。

ストーリーを動かす重要キャラですが、初見だと「ダイジンの行動が意味不明」「なんで鈴芽のことを好きになったの?」「善なのか悪なのか判断しにくい」という口コミがありました。

ダイジンの行動原理はその正体と大きく関わってくるので、初見ではよく分からないと言われてしまうのもしかたないかもしれません。

良い言い方をすれば、天真爛漫で無邪気な子どものようなダイジン。

でも本来の姿は、常世の国からやってくる”災い”を鎮める「西の要石」であり、長い間日本に地震が起きないようにしてきた、守り神のような存在でした。

そんなダイジンは、鈴芽が猫の石像を引き抜いたことで解放され、彼女に好意を持つようになります。

一方で草太を椅子に変えたり、鈴芽と草太のゆく先々で二人を翻弄するような態度をとるなど、好意だけとは思えない行動も。

敵なのか味方なのか、初見ではいまいち分かりにくい・意味不明と言われてしまうようです。

物語終盤でダイジンの正体が分かると、この行動の理由もなんとなく理解できるかもしれません。

>>詳しくは「すずめの戸締りのダイジンがかわいい!正体は一体なに?」の記事をご覧ください。

【すずめの戸締まり】ここが薄っぺらい

「ストーリーが浅い」「薄い」と言われることがある『すずめの戸締まり』。

どんなところが薄っぺらいと言われるのでしょうか?

ストーリーが薄っぺらい

「ものすごくハイクオリティな薄っぺらい映画」
「ストーリーが薄い。安っぽいヒューマニズムでがっかり」
「毎回突然恋が始まるストーリーで、主人公の行動に説得力がなく共感できない。人物の背景描写が薄すぎて感情移入できず、置いてけぼりのまま終わる」
「すずめがあまりにも自分勝手だし、草太と惹かれあう理由も弱くて納得できない。白雪姫のキスのアドバイスも安っぽい」

など、ストーリーが薄っぺらいという批判がありました。

新海作品は映像の美しさに反して、脚本が甘いという意見がいつもあるねw

今作もあげればキリがないほど、薄い・浅い・安っぽいポイントがあるようです。

「監督のやりたい事を詰め込んだけど、うまく噛み合ってなくてチグハグな印象だね」
「こういう話みんな好きでしょっていう監督の下心をずっと見せられた感じ。とことん観客ウケを狙って作られた感じが薄っぺらく、つまらなかった」
「ストーリーや主人公の動機付けが恐ろしく薄っぺらくて、恋愛物語のおまけのように震災を扱われるのがいやだった」

など、とくに
「どこかで見たストーリーや要素」
「観客受けを狙っているような安っぽいストーリー」
「主人公の行動の動機づけ」

が薄っぺらく感じられるよう。

美しい映像や音楽と脚本力の無さがアンバランスで、辛口の評価になってしまうのかもしれないですね。

「たいした意味のない荒唐無稽な物語が、恥ずかしげもなく堂々と2時間繰り広げられるだけの話」という辛口の批判も。

映画ファンは古今東西のさまざまな作品を見ているので、ストーリー重視の他の作品と比べると浅く感じてしまうことが多いようです。

震災描写が薄っぺらい

「前作のフィクション的な災害と違って、今回は実際にあった大災害を取り扱っているのに、こんなに内容の薄っぺらい映画を作るのかと思ってビビった」
「震災ネタを感動ストーリーにしてる。キャラクターの行動では感動できない」
「震災の描き方が薄っぺらい。お涙頂戴でいい話風にまとめてるけど、なんにも刺さらなかった」

など、東日本大震災を扱っているのに、描き方が薄っぺらいという意見がありました。

今作は2011年の東日本大震災とその後の世界を舞台にしていますが、災害(地震)は「要石」である程度抑えられるというファンタジーの設定が加えられています。

実際に1万5千人以上が亡くなり、今でも3千人以上が行方不明になっている災害を、人がコントロール可能という薄っぺらいファンタジーにしてしまったところに批判も集まっているようです。

ただ、震災をあまり真正面から描かなかった理由として、次のような点が考えられます。

・被害に合った人たちが苦痛を感じる恐れがある
・スポンサーからのクレームがある
・テーマが震災そのものではなく、主人公が恋愛したり過去を乗り越えるストーリーだから

これらを考えると、監督のギリギリの落としどころが薄めの描写だったのかもしれません。

でもそれだったら、前作と同じように架空の災害にした方が良かったかも?

「震災を恋愛ストーリーを盛り上げるためのツマのように使われて腹が立つ。震災を扱うならもっとしっかり作りこんでほしい」
「震災を扱えば叩かれるのは当たり前。あえて選んだくせに監督の覚悟がなにも見えなかった。ファンタジーに逃げたり薄っぺらい描写でひよったりせずに、真正面から堂々と描いてほしかった」

など、震災を描くなら半端にせず、作家として真向から取り組むべきだったという意見もあります。

10年以上経った今でも、震災をどう作品に取り入れるかは難しいですよね。

一歩間違えればあらゆる方向から叩かれることを覚悟して、その上で挑むのがクリエイターの矜持といえるのかもしれません。

本作ではその情熱があまり感じられなかったので、薄っぺらいと言われてしまうのかもしれませんね。

恋愛描写が薄っぺらい

「恋愛面が薄っぺらすぎて感情移入出来なかった」
「草太がイケメンじゃなかったら話始まらなかったよね」
「本当にそのシーン必要かな、そんな薄っぺらい過去はいるのかなとずーっと思いながら見てました」
「登場人物全員血が通ってないように見える。監督の頭の中の恋愛だよね。つけ足しみたいな恋愛要素も謎」

など、作中の恋愛描写が薄っぺらいという意見がありました。

恋愛する主人公たちの行動や動機に共感できないという意見は『君の名は。』『天気の子』からも言われていますが、本作でも変わっていないようですw

作中では鈴芽が草太に惹かれているのは描写されていますが、草太→鈴芽はあまりはっきりとは描かれていません。

これは草太が成人男性であり、未成年の女子高生である鈴芽とカップルになるのは海外のポリコレ的に問題があるとされているからのようです。

恋愛描写が薄いのは、海外に向けた配慮なのかもしれません。

>>詳しくは「すずめの戸締りはつまらないし批判殺到の映画?面白いという意見も」の記事をご覧ください。

とはいえ、鈴芽が草太に惹かれる理由は「イケメンだから」という薄いもの。

それだけで後をついていくのは、動機としては弱いですよねw

恋愛ストーリーとしては物足りなく、震災を描ききるには脚本力が足りず、どちらの要素も中途半端になっているところが、薄っぺらいと言われてしまうのかもしれないですね。

【すずめの戸締まり】監督が伝えたいことは?

東日本大震災を直接的に描いたことで賛否両論となった『すずめの戸締まり』。

新海誠監督が私たちに伝えたかったことはいったい何だったのでしょうか?

過去を受け入れ、未来への一歩を踏み出す大切さ

鈴芽は4歳の時に震災で母親を失い、叔母・環に引き取られます。

母は今でも行方不明のままですが、本当は死んでいると分かっている鈴芽。

そのことは彼女の心に深い傷として残っていて、その気持ちに蓋をしたまま10年以上過ごしてきました。

物語終盤、鈴芽は常世の国で燃え盛る町を見ます。

常世の国は「見る人によって姿を変える」と言われていて、鈴芽の中の常世の国は、震災の日のまま、ずっと燃え続けていたのでした。

鈴芽の心の中も、被災したあの日のまま、ずっと時が止まっていたんですね。

常世の国で、家を無くし、母を亡くした4歳の頃の自分と出会う鈴芽。

17歳の鈴芽は自分にこう伝えます

「あのね、すずめ。今はどんなに悲しくてもね――
すずめはこの先、ちゃんと大きくなるの」

悲しみを乗り越えて、ちゃんと成長できるという未来の自分からの約束。

4歳のすずめへのエールであり、12年生き抜いた今の自分を肯定する言葉でもありますよね。

震災の記憶を封印するのではなく、過去をきちんと悼み、大切に”戸締まり”することで区切りをつける。

そして未来へ一歩踏み出すことは、自分自身を救うことになる。

監督の思いは、複雑な時代を生きる私たちへのエールでもあるのかもしれません。

誰かに救ってもらうのではなく、自分の手で自分を救うという強い監督のメッセージが感じられるラストになっています。

かけがえのない日常を大切に過ごす

「かけがえのない日常が一瞬で壊れる恐怖。それでも生きようとする強い意志。誰かと過ごす愛おしい時間を大事にしようと思わせてくれる作品です」
「すずめの戸締まりが伝えたかったのは、”ありふれた日常こそ、かけがえのないものだ”ということではないでしょうか」
「大切な人の死を受け入れること、身近な人の優しさ、愛に気づくこと。行ってきます、行ってらっしゃい、おかえりと言える日常がどんなに大切か、監督が気づかせてくれました」

震災を描くことで、かけがえのない日常の崩壊と再生を私たちに見せてくれた本作。

監督の震災への思いは感じるものの、災害そのものに対するメッセージ性はそこまで強くはありません。

監督はこの物語を災害への警鐘を鳴らしたり、恐怖を煽るものではなく、「場所を悼む、鎮魂の物語」としています。

愛する人を見送り、また迎え入れる日常が、災害によって崩れてしまうこと。

それは日本のどこに住んでいても、付いて回る宿命です。

これからも災害による辛い出来事は起きてしまうでしょう。

だからこそ、何もない日常がかけがえのないものであるということ、そして日常が失われても、人はそれを乗り越え、希望を持ち生きていけるということが、監督からのメッセージなのかもしれませんね。

すずめの戸締まりは動画配信サービスでも見ることができます。

気になった人は、ぜひチェックしてみてくださいね。

まとめ

『すずめの戸締まり』は、2022年に公開された新海誠監督の最新作。

たくさんのファンを感動させた映画だが「意味不明」「薄っぺらい」と言われてしまうことがある。

意味不明と言われるところは、主人公の行動が意味不明・ダイジンの行動が意味不明など。

薄っぺらいと言われる理由は、ストーリーが薄っぺらい・震災描写が薄っぺらい・恋愛描写が薄っぺらいなど。

監督が伝えたいことは、過去を受け入れ、未来への一歩を踏み出す大切さやかけがえのない日常を大切に過ごすことなど。

>>すずめの戸締まりのダイジンがかわいい!正体は一体なに?

>>すずめの戸締まりはつまらないし批判殺到の映画?面白いという意見も

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