【紅の豚】ポルコは人間に戻ったのか?根拠やネットの考察も

映画

1992年に公開されたジブリ作品『紅の豚』。

第一次世界大戦後のイタリアを舞台とし、アドリア海を飛行艇で荒らす空賊たちを相手に賞金稼ぎをして生きる一匹狼の『豚』ポルコ・ロッソが主人公です。

ポルコは豚から人間に戻れたのか?

その根拠やネットの考察もまとめました。
(作品の重大なネタバレを含んで作成しています。ご注意ください)

【紅の豚】ラストシーンでポルコは人間に戻った?

人間に戻ったかどうかは不明

豚になったポルコ(マルコ・パゴット大尉)が元の人間に戻れたのか、劇中では明らかにされないまま、エンディングを迎えます。

しかし「人間に戻れたのでは?」と指摘されているシーンがあります。

物語ラスト、フィオを賭けたカーチスとの決闘に勝利したポルコ。

ジーナの艇にフィオを乗せ、「カタギの世界に戻してやってくれ」と頼みます。

彼女はずるいと言いますが、賞金稼ぎのような危ない世界にまだ17歳のフィオを連れてはいけません。

フィオは動き出す艇から身を乗り出し、すばやくポルコの唇にキスをします。

せいいっぱいの愛情と感謝をこめて…。

ポルコは飛び立つジーナの艇を見送り、カーチスにイタリア空軍をよそへ引っ張っていく手伝いをするか?と持ち掛けます。

振り向いて驚くカーチス。

「ああ!おめえ、その顔!?」

画面にはポルコの肩から下しか映っていません。

そのため人間に戻ったのかどうかは視聴者の想像にゆだねられています。

でも、きっと…と思わせる演出が素敵なシーンですね。

実は物語中盤、フィオと無人島のアジトにいる時に一度、ポルコが人間に戻っているシーンがあります。

夜、決闘にそなえて弾丸選びをしていたポルコが一瞬人間の顔になっているのです。

それを見たフィオは

「ポルコ、私がキスしてみようか?」
「ほらっ蛙になった王子さまが、お姫さまのキスで人間に戻るって話あるじゃない!」

と明るくまじめに提案しますが、もちろん却下されます。

「バカヤロ!そういうものはいちばん大事な時にとっとけ」

このセリフをふまえて観ると、ラストのキスはまさに「魔法を解くお姫さまのキス」であり、フィオにとって「いちばん大事な時」だったのかもしれません。

また蛙になった王子さまが元の姿に戻ったおとぎ話のように、豚になったポルコが”お姫さまのキス”で人間に戻った…というのも説得力がありますね。

ジーナ役加藤登紀子さんは「戻った」と考えている

ところが
「あの結末に対して意外と不満が多かった」
「人間に戻ったままなのか、豚になってしまったのかがよく分からない」

と当時アンケートに書かれていたそう。

ジーナ役・加藤登紀子さんはインタビューでその集計を聞き、

「(人間に)戻ってしまったので、ジーナの前に帰ってこれなかったんじゃないですか?」
「私の想像では、あれは永遠の別れだったのではないかと思います」

(『ロマンアルバム 紅の豚』より)

と答えています。

「最後にポルコとジーナが見つめる数秒があるじゃないですか。あの数秒が大事なんですよ(笑)」
「ジーナも飛行艇をサッサと出して行っちゃう。この人はいくら言ったって戻ってくるはずがないんだものというわけで、いさぎよく、きっぱりとして」
「見つめあって、けりをつけると言うか」
「たぶんふたりは二度と会ってないんじゃないかな」
(『ロマンアルバム 紅の豚』より)

加藤さん的には、ポルコはあの後人間に戻ってしまったため、ホテル・アドリアーノに二度と来ることはなかった…という認識のようです。

そんな!!

とは言っても、ポルコとジーナの関係をとても素晴らしいものだととらえているよう。

「私はポルコ・ロッソとジーナは、男と女なのに戦友だった。一緒に戦ってきたんだと思うんです」
「その思い出がふたりの間にすごく大事なものとしてあって、男と女の関係の中でも、恋人でもなく、夫婦でもなく、それ以上といってもいいかもしれない関りの深さを、私はあのふたりには感じますね」
「ジーナがポルコ・ロッソを愛しているということを初めて映画の最後の方で知ったわけでしょう。顔を真っ赤にしてね」
「それは、暗黙のうちにはお互いがすごく大事な関係だということがわかっていても、また別の意味で…」
(『ロマンアルバム 紅の豚』より)

ふたりは男女の愛情を越えた、生死をともにした戦友のような感情を持っていたのではないか?という加藤さん。

さらにジーナは恋人以上、もしかしたら母性に近いものも抱いていたのかもしれません。

だからこそジーナはポルコを引き止めず、人間に戻ったポルコも男女関係にならないよう姿を消したのでは…?という考察のようです。

ちょっと切ないですが、まさに成熟した大人の関係ともいえますね。

宮崎監督は「戻っていない」と考えている

公開当時のアンケートでは、
「あの結末に疑問を持った」
「あの後ポルコが人間に戻ったのか、それとも一生豚のままなのか知りたい」

と白黒をつけたがるファンも多かったようです。

この質問に対し、宮崎監督は

「人間に戻るということが、それほど大事なことなんでしょうか?(笑)」
「それが正しいと?」
(『ロマンアルバム 紅の豚』より)

と一笑しています。

劇中ではジーナの「どうやったらあなたの魔法がとけるのかしらね」というセリフもあり、ポルコが豚になったのは「魔法」のせいであるというのが一般的な見方のようです。

しかしその「魔法」も、たとえば『ハウルの動く城』のソフィにかけられた老婆になる魔法のように、実際はもう解けており、自分の心ひとつで元に戻ることができるという見方もできるようです。

フィオが目にした一瞬だけ人間に戻るポルコも、「人間も捨てたもんじゃねえって、そう思えて来るぜ」という気持ちになっていたから戻っていた、という考察もあるようです。

しかし宮崎監督は、

「僕は豚のままで生きる方がいいんじゃないかと思います」
「ときどき つい本音が出て真顔(人間の顔)になったりするけれど、でも豚のまま最後まで生きて行く方が、本当にこの男らしいと思う」
(『ロマンアルバム 紅の豚』より)

ポルコが豚のままで生きて行く方が「彼らしい」としています。

それには監督の強いこだわりがあるようです。

「人間の顔に、本当の真顔になってしまうことも、彼にとってはあるかもしれない。だからといって、すぐジーナの所に行って「どうも」って……。行かないですね」
「ジーナが出てきたら、また豚になって飛んでっちゃいますよ」
「僕はその方が、”自分を許さない”という方が好きです」
(『ロマンアルバム 紅の豚』より)

ポルコが”自分を許していない”というのが、監督にとって大切なこだわりのよう。

ジーナや友人たちと「飛行艇クラブ」作り、大空を愛し夢見ていた少年時代のポルコ。

しかし時代は第一次世界大戦に突入します。

青年になったポルコは飛び続けるためにかつての純粋な夢を捨て、窮屈な軍服に身をつつみます。

「飛ぶために生きてきた少年」は、「生きるために飛ぶ大人」になり、多くの敵艇を撃破。

そして同じくらいの仲間を失いました。

「アドリア海のエース」と呼ばれる凄腕のパイロットになっても、その呼び名はポルコにとって称賛ではなかったのです。

また物語中盤、フィオに過去を独白するシーンは、ポルコの本心でもあるようです。

天高く昇っていく飛行艇たちの中に親友の姿を見つけたポルコは、

「ベルリーニ、行くな!!ジーナをどうする気だ!!オレが代わりに行く!」

と叫び後を追おうとしますが、自分の艇は動きません。

敵も味方も、数限りない飛行艇が吸い込まれるように高みへ昇っていく中、自分だけが地上へと還っていく…。

「オレにはおまえはずっとそうして、一人で飛んでいろって言われた気がしたがね」

空を飛ぶために意に染まない軍に入り、同じ多くの飛行艇乗りを撃ち落とし、仲間を救うことはできず、ジーナをいつも悲しませている…。

そんな”自分を許せない”ポルコが、人間に戻ってハッピーエンドとは監督は考えていないのかもしれません。

宮崎監督はさらに、

「僕は豚が人間に戻るなんていう映画を作りたいとは、全然思っていない」
「僕にとって”美女と野獣”というテーマはずっとやりたかったテーマですが、もしやったとしても最後は野獣のままです」
(『ロマンアルバム 紅の豚』より)

『美女と野獣』はご存知のとおり、美しい少女ベルが恐ろしい獣の姿の王子を愛する物語ですが、宮崎監督からすると、「人間に戻ったから、それでジーナが愛してくるというほうがずっといやらしい」とのこと。

「(ジーナは魔法が解けることを願っていると)同時に、豚のままあの日差しの中に現れたら、それを愛そうと決めたんですよ」
「人間になったら愛そうと思っているわけじゃない」
(『ロマンアルバム 紅の豚』より)

ヒロイン・ジーナはポルコに対し、人間でも豚のままでも変わらない愛を注いでくれるよう。

監督みずからが太鼓判を押してくれていますね。

宮崎監督の中では「ポルコは豚のまま」とのことですが、それはバッドエンドという意味ではないようです。

ポルコは人間に戻ったのかネットの考察

人間に戻ったという説

ネットでは「ポルコは人間に戻った!」という意見がもっとも多いようです。

宮崎監督が言っていた「美女と野獣」のラストに触れているファンもおり、かなり鋭い考察ですねw

「私がこの庭にいる時その人が訪ねてきたら、今度こそ愛そうって賭けをしてるの…」という”賭け”は「ジーナの勝ち」と見るファンも。

エンディングにポルコの愛機が映っており、またジーナがますますキレイになっていくというのも愛する男性がいるからでは?ということのよう。

これも説得力がありますね!

人間に戻って天寿をまっとうし、あの飛行艇乗りたちがいる天国に行っているとしたら、それがポルコにとっていちばんの幸せかもしれませんね。

エンディングのモノローグから、人間に戻ってもフィオとも会わないままだろうという考察もありました。

フィオはピッコロ社を継ぎ、「いい飛行艇屋」になったようです。

ジーナとの友情も続いているようで、ふたりはポルコを愛した女性として昔話に花を咲かせているかもしれませんね。

人間に戻ったかは分からない説

ラストシーンでぼかされているとおり、「人間に戻ったかどうかは分からない」と考えるファンもいるようです。

宮崎監督も劇中ではどちらともとれる描き方をしています。

戻ったかどうか明確にせず、視聴者の解釈にゆだねるエンディングだからこそ、長く愛されている作品ともいえそうですね。

人間に戻ったかどうかは重要ではない説

前述の宮崎監督による
「僕は豚が人間に戻るなんていう映画を作りたいとは、全然思っていない」
「人間に戻るということが、それほど大事なことなんでしょうか?(笑)」

というメッセージにしっかり気づいているファンもいます。

ポルコ・ロッソというひとりのパイロットの生きざまを描いた作品なだけで、豚であることにはそれほど意味がなく、人間に戻れるかどうかも主題ではないということですよね。

これも”視聴者それぞれの受け取り方をしていい”という監督のメッセージなのかもしれません。

まとめ

『紅の豚』は、主人公一匹狼の『豚』ポルコ・ロッソが最後人間に戻れたのか?という疑問が残る作品。

劇中では人間に戻れたのか、明らかにされないまま、エンディングを迎える。

最後に顔は映らないが、カーチスがロッソを見て驚くので、人間に戻っているのではないかと推測されている。

また、ジーナ役加藤登紀子さんは「戻った」と考えているが、宮崎監督は「戻っていない」と考えている。

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