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「聲の形」の竹内先生は最悪!クズで無能だけど良い人とも言われる理由は?

映画

「聲の形」で最悪な人物といえば、すぐに名前のあがる竹内先生。

一見若くてイケメンな担任教師ですが、それは京アニの力。

「児童たちに無関心」「いじめを放置・黙認」「問題が起きれば児童のせい」とかなり問題アリの先生なんです。

いったいどんなところが「クズ」なのか?
そのクズな性格のエピソード、そして「実は良い人?」という説も調べてみました!

竹内先生が最悪な理由

クズエピソード:小学校編

・耳が聞こえない硝子に「自己紹介して」と口頭で伝える
・小テストに出る箇所を書かせる時も口頭でしか伝えない
・硝子がうまく音読できない時、石田が声真似をしてからかうが、軽く注意するだけ
・石田が硝子の耳元で大声を出して驚かせた時も軽く注意するだけ

竹内先生は、石田や植野の小学校時代に担任をつとめた男性教師です。

聴覚障害のある硝子のサポートを児童に丸投げし、お世話係となった児童を褒めることはあっても、サポートの手助けをすることはありませんでした。

また石田が何度も硝子へちょっかいをかけていることを知りながら、軽く注意するだけで流していました。

そのためいじめはどんどんエスカレート。

明らかに硝子がいじめられていることを認識していたのに、放任していたのです。

しかし硝子の母親から「補聴器が何度も壊されている」と学校へ連絡があり、いじめが発覚。

校長先生が対応する事態になると、保身のために豹変します。

校長先生の話を遮り、「ッオイ石田ぁ!!お前だろっ」と名指しし、黒板を思い切り叩いて威嚇。

「立てよオラァ!」と大声で怒鳴る。

共犯の島田や植野にいじめの目撃証言をさせ、その責任をすべて石田にかぶせて事態をおさめてしまいます(島田や植野はおとがめなし)。

それからいじめの標的が石田に変わり、そのことを石田が訴えると「硝子をいじめていたお前にそれを言う権利があるのか」と言って相手にしません。

その結果、石田へのいじめは卒業まで続き、その後も孤独な中学・高校時代を送ることになってしまいます。

いじめを黙認していたあげく、その原因を児童ひとりに押し付けるという、教師としても大人としても最悪な対応をした竹内先生。

あなたの学生時代にも、こんな先生いませんでしたか?

竹内先生のクズエピソード:高校編

映画ではカットされていますが、高校生となった石田たちは映画製作をすることになり、ロケ地として出身の小学校を訪れます。

そこで竹内先生と気まずい再会をしますが、その時「お前東地高か!すごいな!立派になったなお前も!」とまるで過去を忘れたような発言。

よくやったと褒める竹内先生に、石田はひきつった笑みを浮かべます。

友人もいる手前、なんとかやり過ごそうとしますが、

「石田が6年生の時のゴタゴタも、あって良かったことなんだろうな・・・」(覚えてる!!)
「あのクラスはハズレくじを引いたんだ」
「あの耳の聞こえない子、あーいう肩書を利用して周りに迷惑かけてもいいと思い込んでる人たち」
「石田も運が悪かったな」

硝子とその家族は障害を理由に『何をしても許される』と思っていると、わざわざ話題に持ち出します。

教師側は当時から硝子と家族をよく思っていなかったという発言です。

硝子へのいじめについても、

「見て見ぬふりをした連中はみんな加害者だよな」
「石田も痛い目見て、成長のキッカケになって良かったよな」

と、自分がいじめを黙認していたことは棚に上げて、いじめた石田が悪いと今でも思っているようです。

しかも、「痛い目見て良かった」と・・・。

石田がいじめられたことは「仕方ないこと」「成長のキッカケ」だと思っているのです。

この「大人」の理論、正しいようで最悪のセリフですよね!

このシーンの後、憤慨した石田の友達に頭からペットボトルの水をかけられるという反撃を受ける先生。

「ざまあみろ!」と読者もスッキリしたかもしれませんね。

竹内先生は実は良い人?という説も

調べれば調べるほど「クズ」「最悪」「悪人」というエピソードばかりの竹内先生。

ところが、「良い人」だという声もあるようなんです。

前述の小学校訪問の時、硝子も同行していましたが、外で待っていました。

ペットボトル事件の後、急いで職員室を立ち去る石田と友人。

廊下にいた硝子が石田に話しかけた手話を、竹内先生はちゃんと読み取っているのです。

「久しぶりに・・・、来たかった?」

つまり、竹内先生は、石田が硝子のために手話を覚えたように、自分も担任として手話を覚えていた可能性があるのです。

普通学級の担任である自分は、耳の聞こえない児童を受け持つことはもう無いかもしれない。

それでも、初めて受け持った彼女のために、できることを考えて・・・。

クズで最悪の教師というイメージが、ちょっと変わりますよね。

「聲の形」は、登場人物が全員どこか欠陥を抱え、悩む姿が共感を呼ぶ作品です。

竹内先生も最悪ではありますが、やはり彼なりに努力し、でもそれぞれの巡りあわせでうまくいかなかったというだけなのかもしれません。

誰もが完全な善人ではなく、完全な悪人でもないという、現実世界では当たり前の生き方を、竹内先生は体現しているのかもしれませんね。

まとめ

聲の形に登場する主人公たちの小学校の担任竹内先生は自動に無関心で、聴覚障害のある硝子のサポートを児童に丸投げし、サポートの手助けをすることはなかった。

硝子がうまく馴染めずいじめられるようになっても、わかっていながら放置した。

しかしいじめが発覚し、校長先生が出てくると態度を一変させ、責任をすべて石田に押し付けた。

いじめの標的が石田に変わってからも、相手にはしなかった。

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