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【コクリコ坂から】の時代背景は?映画と原作の違いについても

映画

宮崎吾郎監督の二作目の映画として、2011年に公開された「コクリコ坂から」。

舞台は1963年(昭和38年)の横浜です。

ところが原作版では1970年代となっています。

どうして映画版と原作版は時代設定が違うのでしょうか?

映画版と原作版それぞれの時代背景と、なぜ違いができたのかその理由も考察してみました!

コクリコ坂からの時代背景:映画版

高度経済成長期である、1963年(昭和38年)が舞台です。

東京オリンピックの前年であり、日本は高度経済成長期の真っただ中。

当時高校生のメルや風間くんは、いわゆる団塊の世代となります。

作中でも重要な要素である「風間くんの出生の秘密」は、現代の価値観で考えると違和感があるものですが、この時代背景からすると納得できるエピソードとなっています。

風間くんは高校3年生。

18歳なら生まれたのはちょうど1945年。
終戦の年に当たります。

戦後すぐの混乱期、戦争で両親を亡くした子どもたちは「戦災孤児」と呼ばれ、生きるために公園や駅で寝泊りしたり、犯罪行為に手を染めたりしていました。

社会問題にもなっていた「戦災孤児」たちは、その多くが飢えや病気で命を落としたりもしています。

風間くんも両親を亡くし、そんな「戦災孤児」になるところを、海の父親に救ってもらいました。

「引き取る時に自分(松崎)の籍に入れた」というのも、当時はそこまで珍しいことではなかったようです。

映画版の海の父親も朝鮮戦争(1950~)の最中機雷に触れて亡くなっており、海も戦争の遺族ということがわかります。

劇中の明るい雰囲気とはうらはらに、ふたりの過去は戦争と深く結びついているのです。

1963年(昭和38年)に日本で起きた出来事

現代でも有名なところでは

①1963年3月:吉展ちゃん誘拐殺人事件
②1963年5月:狭山事件
③1963年6月:黒部ダム完成
④1963年7月:日本初の高速道路「名神高速道路」が開通
⑤1963年11月:ケネディ大統領暗殺事件

ほかにも三池炭鉱の爆発事故、鶴見の二重衝突事故が11月の同日に起きたり、東京地下鉄の爆弾事件など大事故が相次ぎ、世相に不安が広がる年でもありました。

文化面では1963年1月に初のテレビ長編アニメ「鉄腕アトム」の放映が開始されました。

流行した言葉は「バカンス」「番長」「ハッスル」「カワイコちゃん」(当時は年下のかわいい男性を指しました)など。

流行した歌は
「高校三年生」:舟木一夫、「東京五輪音頭」:三波春夫、
「こんにちは赤ちゃん」:梓みちよ、「恋のバカンス」:ザ・ピーナッツ、
「見上げてごらん夜の星を」:坂本九

など。

「見上げてごらん夜の星を」は、はじめ映画の挿入歌に使われる予定でしたが、鈴木プロデューサーが同じ坂本九の「上を向いて歩こう」(1961年)を強く推し、変更になったそうです。

この曲は戦後日本の復興を象徴する歌でもあり、前向きに進む人物の多い「コクリコ坂から」の雰囲気に合っていますよね。

そのほか司馬遼太郎の「竜馬がゆく」、河野実・大島みち子の「愛と死をみつめて」がヒットし、黒澤明の「天国と地獄」や洋画「アラビアのロレンス」も話題となりました。

コクリコ坂からの時代背景:原作版

原作版「コクリコ坂から」は、1970年代の学園が舞台。

1980年に「なかよし」で連載されていたのに、それよりも少し古い時代の設定です。

そのため、ストーリーも少し古めかしく、少女漫画にはやや場違いな「学生運動(制服自由化運動)」が物語の中心に登場します。

「制服自由化運動」(制服を強制する学校への反発)は、海と風間くんの距離を縮めるきっかけとなりますが、現代の私たちが読むと少し違和感がある設定です。

運動は最終的に全学生に広がり、一度は自由化派多数により可決されますが、生徒会長が拒否権を発動し無効とされてしまいます。

それに納得できない生徒たちによって、運動は全学生のストライキ・授業ボイコットという騒動に発展。

ところが元々この騒ぎは、風間くんと生徒会長・水沼によって仕組まれたものでした。

決起集会に集まった生徒たちは、授業が再開される様子を見て次第にテンションが下がり、自然消滅します(リアルだな)。

1970年代の学生運動について

学生運動は1960年代から1970年代にかけて日本で盛んに行われていました。

当時の日本は戦争の傷が少しずつ癒えてきた時代。

終戦から時間が経ち、高度経済成長期に突入したとはいえ、多くの社会問題も抱えていました。

国民の政府に対する不満はあちこちで爆発し、デモも多くおこなわれていました。

元々学生運動は中世ドイツから始まったもの。

学問の自由を求め、学生たちが政府や学校に抗議したことが始まりとされています。

日本では明治時代の旧制高等学校の校長排斥運動が始まりと言われており、元々は大学や教育に関する事柄に対しての反対運動や要求運動が主な理由でした。

70年代に入ってからは、戦争反対や条約改正など政治的な事柄に対するものに変化していっています。

原作版の「コクリコ坂から」は、そういった世相の雰囲気を「制服自由化運動」として表現しつつも、暴力的で過激な面は抑え、青春の物語として描いています。

映画と原作の違いについて

映画と原作では、大きく時代背景が違います。

原作の1970年代から1963年に変更した理由、それは企画・脚本の宮崎駿さん、鈴木プロデューサーの「青春時代」を描くためだと推測します。

宮崎駿さんは1941年生まれ。
1963年には22歳で、ちょうど大学を卒業し、アニメーターとして東映に入社した時です。

プロデューサーの鈴木敏夫さんは1948年生まれ。
1963年には15歳で、まさに海と同年代。

風間くんや海の生きた時代を鈴木氏も生きて来たことになります。

「コクリコ坂から」を原作の1970年代ではなく、1963年に設定したのはそこに生きる高校生たちの青春群像劇を描くことで自分たちの青春時代を振り返り、また自分たちを取り巻いていた世相を描くことで、「若い世代」へのメッセージとしているからではないでしょうか。

1970年代、大量生産・大量消費が良しとされた時代の少し前、1963年は高度経済成長期のはじまりで、古い文化と新しい文化が入り混じり、若者は「古いもの」=「ダサい、悪い」と嫌う風潮でした。

でも劇中で風間くんが
「古いものを壊すことは過去の記憶を捨てることと同じじゃないのか!?」
「人が生きて死んでいった記憶をないがしろにするということじゃないのか!?」
「新しいものばかりに飛びついて歴史を顧みない君たちに未来などあるか!!」

と主張するシーンがあります。

この「古いもの」というのはカルチェラタンのことですが、同時にコクリコ荘のことも指しています。

「古いもの」=「悪いもの」ではなく、いろいろな人の記憶を受け継いできた、大切なもの。

カルチェラタンをキレイにし存続させるということは、「古いものを大切にしよう」という今作の隠れたテーマを表しているのかもしれません。

まとめ

コクリコ坂からの映画版の時代背景は、高度経済成長期である、1963年(昭和38年)が舞台。

コクリコ坂からの原作の時代背景は、1970年代の学園が舞台。

原作では学生運動が盛んな時期だったが、暴力的で過激な面は抑え、青春の物語として描いている。

映画と原作で時代背景が違う理由は、企画・脚本の宮崎駿さん、鈴木プロデューサーの「青春時代」を描くためだと推測。

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