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バレンタインの由来は怖いって本当?日本の起源についても

おもしろ雑貨・雑学

今年も2/14「バレンタインデー」が近づいてきましたね!

日本では「愛を告白する日」としてロマンチックなイメージを持つバレンタインデーですが、実は怖~い由来があるそうです。

バレンタインの由来・起源はいったい何?

そのほか日本のバレンタインの由来についてもまとめました!

バレンタインの怖い由来とは

調べてみると「本当は怖い」バレンタインの由来。

その起源はなんと、約2000年前の古代ローマまでさかのぼるようです。

バレンタインデーのはじまりは、西暦300年代のローマ帝国時代。

ヨーロッパから西アジアにおいて絶大な力を持っていたローマ帝国が次第に全盛期を過ぎ、軍人皇帝や専制君主化していく頃です。

周辺の国々と戦争が絶えない時代でしたが、ときの軍人皇帝クラウディウス2世(在位268年~270年)は兵士たちの婚姻を禁止していました。

「兵士たちが恋人や家族を持つと、里心がつき士気が下がる」というのが理由です。

「死にたくない」「妻のいる故郷に帰りたい」という気持ちが軍全体を弱らせ、戦争にも勝てなくなると考えたクラウディウス2世は兵士たちの結婚を禁じ、士気を高めようとしていました。

しかし悲しむ兵士たちを気の毒に思ったキリスト教司祭のヴァレンティヌス(ウァレンティヌス)は、ひそかに兵士たちの婚姻を認め、皇帝の目から逃れてこっそりと結婚式を挙げさせていました。

兵士たちにとってはまさに「神の助け」でしたが、その行いが見つかってしまいます。

ヴァレンティヌスは投獄されますが、牢の中でも兵士の結婚式をあげ続けました。

業を煮やしたクラウディウス2世は、269年2月14日、ついにヴァレンティヌスを絞首刑にしてしまったのです…。

その後ヴァレンティヌスは、恋人たちの守護聖人として崇敬されてきました。

ヴァレンティヌスの殉教の日、2月14日を彼の名前をとって「聖ヴァレンタインデー」と呼ぶようになったと言われています。

一方、ヴァレンティヌスの死は「兵士たちの結婚」を後押ししたからではないという説もあります。

当時のローマ帝国ではキリスト教はまだ国教ではなく、キリスト教徒は迫害される立場でした。

クラウディウス2世もキリスト教を迫害しており、人々に熱心に布教活動をするキリスト教司祭・ヴァレンティヌスは邪魔な存在でした。

投獄されても信仰を捨てず、そればかりか牢の罪人たちにも布教をしたため、ついに処刑されてしまった、という説もあるようです。

2月14日がバレンタインデーの理由

「恋人たちの守護聖人」としてヴァレンティヌスの殉教日が「バレンタインデー」になったという伝説はよく知られていますが、ではなぜ2月14日なのでしょうか?

ヴァレンティヌスがたまたまその日に処刑されたから、というわけではないようです。

キリスト教が国教になる前のローマ帝国で多く信仰されていたのは、ローマ神話などで有名なローマの神々であり、多神教です。

2月14日はすべてのローマの神々の女王、女神・ユーノーの祝日でした。

ユーノーは結婚や出産をつかさどり、女性を守護する女神でもあります。

そして翌日の2月15日は、毎年「ルペルカーリア祭」(豊穣・多産を祈願する祭り)が行われていました。

この「ルペルカーリア祭」、かなりSMチックなお祭りで、全裸の男性が子宝に恵まれない女性や、安産を願う女性をヤギの皮のムチで叩くという、ユニークで刺激的な儀式だったそう。

「そんなので安産できるのか?!」と疑問がわきますが、女性はムチで叩かれる痛みと引き換えに願いが叶うと信じられていたそうです。

またこの祭りの前日には、女性が名前を書いた札を桶の中に入れておき、祭り当日に男性がそれぞれ1枚札をひいて、引き当てた女性とカップルになるというお見合いパーティーのような儀式も行われていたそうです。

パートナーになった男女は祭りが終わるまでいっしょにいることが決められており、そのまま結婚するカップルが多かったとか。

当時のローマは若い男女が分かれて生活しており、一年に一度だけ男女が会えるこの祭りはとても人気があったようで、5世紀あたりまで続いていたようです。

しかしキリスト教がローマ国教となった392年以降は、「風紀が乱れる」「布教の妨げになる」という理由で、ローマ教皇ゲラシウス1世(在位492年~496年)によって「ルペルカーリア祭」を廃止しようという動きが出ました。

キリスト教の布教のため、異教の要素をできるだけ排除したかったようです。

若者に人気のこの祭りをただ禁止するだけでは反感を買うと考えたローマ教会は、2月14日に殉教したキリスト教司祭・聖ヴァレンティヌスと「ルペルカーリア祭」を結びつけ、「愛を誓う日」という名目で、キリスト教の祝日として残したと言われています。

こうして、キリスト教以前からあった「ルペルカーリア祭」は聖ヴァレンティヌス(バレンタイン)由来の祭りと解釈を変えられて、5世紀ごろまで続いたそうです。

もともとの祭りは2000年前のローマの神様のもので、解釈が変わって2月14日に祝われるようになったなんて、なんとも壮大な由来ですね。

日本のバレンタインデーの由来は?

洋菓子店のキャンペーン

ところで日本のバレンタインデーはいつごろから始まったのでしょうか?

諸説あるようですが、もっとも有力なのは、1932年(昭和7年)に「モロゾフ」が日本ではじめて「バレンタインにチョコを贈る」というスタイルを一般に紹介したというもの。

「欧米では2月14日に愛する人に贈り物をする」という習慣をアメリカ人の友人から聞いた創業者が、その素晴らしい文化を日本にも広めたいと考えてカタログに載せたそうです。

現在もっとも古く確認されているのは1935年(昭和10年)2月に英字新聞「ジャパンドアドバタイザー」に掲載された、モロゾフの「バレンタインチョコレート」の広告。

ハートボックスのチョコレートと男女の手、周囲で見守る愛のキューピッドたちが描かれ、華やかで優雅な広告です。

以降、太平洋戦争開戦前の1940年(昭和15年)2月まで、6年間にわたり新聞広告が続けられていたよう。

モロゾフは港町神戸のチョコレートショップが発祥であり、異国文化を取り入れたマーケティングが成功した例のようです。

現在ではモロゾフの広告が日本式バレンタインの起源という説が最有力ですが、ほかのメーカーによる由来も多く流れているようです。

ソニープラザが起源説

ソニー創業者の盛田昭夫は、1968年(昭和43年)に自社の雑貨専門店「ソニープラザ」がチョコレートを贈ることを流行させようと試みたことをもって、「日本のバレンタインはうちが作った」と発言していたよう。

あのソニプラがそんな昔からあったなんて知らなかったですね…。

メリーチョコレートカムパニーが起源説

メリーチョコレートカムパニーが1958年(昭和33年)2月に伊勢丹新宿本店で「バレンタインセール」としてチョコレート販売のキャンペーンを行ったのが起源とするもの。

日本では定番のチョコレートメーカー、さすがですね!

森永製菓が起源説

1960年(昭和35年)に森永製菓が「愛する人にチョコレートを贈りましょう」と大々的に新聞広告を出し、伊勢丹が1965年(昭和40年)にバレンタインデーのフェアを開催することがバレンタインの普及の起源となったという説もあるようです。

しかしそのほかのデパート、西武百貨店や松屋で1956年(昭和31年)に、松坂屋で1959年(昭和34年)にそれぞれ「バレンタインデー」の新聞広告を載せており、伊勢丹が起源というわけではないようです。

日本では男性から女性に花や贈り物を贈るという習慣があまりなかったため、欧米方式はなかなか定着しなかったよう。

1970年代に「女性から男性へ贈る」というスタイルに変えたところ、次第に小学校高学年から高校生の若い女性に広まり、1980年代後半には、夫や父親、義父などに贈る主婦層にも広がっていったそう。

また人気アイドルやスポーツ選手、漫画やゲームのキャラクター宛てにチョコレートを贈る女性も増え、現在のバレンタインの形になったようです。

まとめ

バレンタインの怖い由来とは、古代ローマ時代、時の皇帝は兵士たちが恋人や家族を持つと里心がつき士気が下がるとして兵士たちの結婚を禁止していた。

そんな中、政策に反対し隠れて多くの兵士たちを結婚させていたのが、バレンタインという名の司祭。

それが皇帝にバレ死刑を宣告され彼が殉教した日が2月14日だったというもの。

2月14日がバレンタインデーの理由は司祭の死んだ日というだけではなく、毎年2月15日に行われていた「ルペルカーリア祭」を「風紀が乱れる」という理由で禁止したかったため、反感を買わないために2月14日に殉教したキリスト教司祭・聖ヴァレンティヌスと「ルペルカーリア祭」を結びつけ「愛を誓う日」という名目で、キリスト教の祝日として残したと言われている。

日本のバレンタインデーの由来は、洋菓子店のキャンペーン説、ソニープラザが起源説、メリーチョコレートカムパニーが起源説、森永製菓が起源説と諸説ある。

 

 

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