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【ローマの休日】アン王女の年齢は?モデルの女性についても

映画

1953年に公開された不朽の名作『ローマの休日』。

ヒロインはヨーロッパ某国のプリンセス、アン王女。

オードリー・ヘップバーンの清楚な演技でとても若く見えますが、いったい何歳の設定なのでしょうか?

またアン王女のモデルと言われる女性についてもまとめました。
(作品のネタバレを含んで作成しています。ご注意ください)

【ローマの休日】アン王女の年齢

『ローマの休日』小説版によると19歳。

お相手のジョーは、もうすぐ30歳という設定です。

映画の中ではアン王女や記者ジョーの年齢は特に説明されません。
(本作の撮影時、オードリーは24歳、グレゴリーは37歳でした)

オードリー・ヘップバーンの初々しさやグレゴリー・ペックの落ち着いた演技で王女は10代後半~20代前半、ジョーはもっと年上(40歳ぐらい?)と思っていたので、設定としてはジョーはそんなに若かったのか!とびっくりですw

とはいえ11歳の年の差は、最初記者が王女を子ども扱いしているのも納得ですね。

またイケメンでちょっとワルな新聞記者は王女の周りには絶対にいないタイプで、王女が恋に落ちるのも分かります^^

アン王女のモデルとなった女性は誰?

マーガレット王女

『ローマの休日』アン王女のモデルと言われている女性は、イギリス・エリザベス女王の4歳下の妹である、マーガレット王女だと言われています。

アン王女に負けず劣らずの美貌を持ち、魅力にあふれた性格ながら奔放で悲恋に満ちた生涯を送りました。

ローマの休日公開時は?

姉・エリザベスが女王の座についたのは1953年。

ちょうど『ローマの休日』が公開された年でもあります。

この時マーガレット王女は23歳。

かたわらには16歳年上で離婚歴のある恋人、ピーター・タウンゼント大佐がいました。

タウンゼント大佐は第二次世界大戦中”空の英雄”として国王拝謁の名誉を得、マーガレット王女はその時はじめて大佐と出会います。

14歳の王女は、精悍なパイロットである大佐を一目見て「ビューティフル」と言ったとか。

その後王室付きの侍従武官に任命された大佐は、国王に付き従うことになります。

必然的に二人の王女とも親密になりました。

背が高くハンサムな大佐は、マーガレット王女の初恋の人となったのでした。

しかし悲劇はここから始まります。

父ジョージ6世の死後、すでに妻子のあった大佐と恋愛関係になったのは1952年頃と言われています。

「プリンセス・マーガレット隊」と呼ばれる名門出身のお金持ちのボーイフレンドが多数取り巻いていたにも関わらず、マーガレット王女は既婚者の大佐への恋心を止めることはできませんでした。

1955年、マーガレット王女は25歳に。

自分の結婚を枢密院に報告すれば、選んだ男性と結婚できる年齢になりました。

タウンゼント大佐は前妻と離婚していたものの、政府首脳はふたりの結婚には反対していました。

実はイギリス王家には、二度の離婚歴を持つアメリカ女性を選んで王位を捨てたエドワード8世(マーガレット王女の伯父)という前例があり、離婚経験者との結婚を認めない英国国教会はもちろん、王室を捨てる可能性のある結婚に、多くの人々が大反発していたのです。

政府は
「王位継承権第3位のマーガレット王女が、離婚歴があり16歳も年上のタウンゼント大佐と結婚するならば、王位継承権だけでなく、王室メンバーとしての年金受給権もはく奪する」
と、姉であるエリザベス女王に伝えます。

世間の反発を目の当たりにしたマーガレット王女は、思い悩みました。

初恋は実らず

大佐も自分の収入だけで王女との生活を成り立たせなければなりません。

前妻の子どもたちへの養育費もあります。

王女としての贅沢な暮らしを捨て、専業主婦になれとは言えませんでした。

ついに王女はみずからの意志で、「大佐と結婚しない」と決めます。

王女の声明文はBBCで放送され、タウンゼント大佐はベルギーのイギリス大使館へ異動させられてしまいました。

しかしこの失恋により、マーガレット王女は「性格が変わった」と言われるようになります。

王室のイメージを守ることはできたものの、初恋の人を忘れることができず、その後の人生に深い影を落としたのです。

25歳の王女はタバコを吸うようになり、夜な夜なナイトクラブ通いをするなど奔放な生活を送るようになりました。

何人かの上流階級の男性と浮名を流した後、新しい恋を見つけたマーガレット王女。

1959年、王室に出入りしていた新進気鋭のカメラマン、トニー・ジョーンズが次の交際相手になりました。

今度は国民も、貴族出身でない実力主義の個性的な男性を選んだことを祝福します。

1960年、晴れて結婚したマーガレット王女は、ようやく幸せを手に入れたかに見えました。

ふたりの子どもにも恵まれ、実力派カメラマンとして活躍する夫と美しい王女は「華やかなカップル」として国民の注目を集めました。

幸せなはずの結婚生活

しかしそんな蜜月も長くは続きませんでした。

姉・エリザベス女王によると、マーガレット王女は
「女王である自分と違って妹には”人生のテーマ”がなく、何の役割も与えられていない。
なのに幼い頃からちやほやされ続けたため、夫の後ろを三歩下がって歩くような生活を送ることが出来ない」

奔放で気の強いマーガレット王女は、家庭でも主導権を握り、住む家も生活費も当然彼女のもの。

夫・トニー(スノードン卿)にとって、それは我慢ならないものでした。

わがままな妻の言う通りにするという結婚生活は、やがて破綻していきます。

ファッション界で生きるトニーの乱れた生活は、薬物乱用や派手な女性関係、同性愛疑惑などもあり、王女の心をむしばんでいきます。

お互いを信頼できなくなったふたりは、ついに「不倫には不倫」で対抗するようになってしまいました。

王女は1960年代後半からはマスティク島で上流階級や大富豪とのパーティー三昧の毎日を送り、ゴシップ紙の常連となってエリザベス女王を悩ませます。

1970年代からは別居生活に入り、ますます破滅的な生活を送ります。

元首相の弟のピアニストと関係を持ち、その後彼がピストル自殺を図るというスキャンダルに発展。

また43歳の時には18歳年下の庭師と恋仲になり、4年間酒びたりの同棲生活を送ったとも。

スノードン卿とは長い別居生活の末、1978年に離婚が成立します。

離婚後もミック・ジャガー(ロックミュージシャン)やピーター・セラーズ(コメディアン)などの有名人との浮名を流しました。

姉であるエリザベス女王は、マーガレット王女の破滅的な恋愛を「初恋の人と結ばれなかったことが原因ではないか」と不憫に思っていたそう。

そのため常に妹を気にかけ、妹がパーティー三昧の時も彼女の子どもたちを我が子のように可愛がっていました。

マーガレット王女も40代後半になると、女王のバックアップのおかげで落ち着きを取り戻していきます。

芸術文化の振興活動に関心を持ち、そこに自分の居場所を見出していったようです。

とくにイギリス王立のロイヤル・バレエ団の後援活動では中心的な存在となりました。

1995年、タウンゼント大佐がベルギーで死去した同じころに王女も脳卒中で倒れ、車いす生活を送ります。

そして2002年に71歳で生涯を終えました。

マーガレット王女は、アン王女のモデルと言われるほどの美貌を持ちながら、「学校」という近代教育を受けなかった最後の世代と言われています。

王室以外の世界を知らずに育った王女にとって、王室はまさに自立をはばむ”金の鳥かご”でした。

『ローマの休日』のアン王女にとっても宮殿は”金の鳥かご”という描写になっています。

しかしこちらの王女は、物語のラスト、「恋」ではなく「王女としての立場」をとり、自らの意志で”金の鳥かご”へ戻っていきます。

毅然とした姿は、決して悲劇的には見えません。

不自由な生活を強いられながらも、人生を自分で選び取っているという描写は、モデルとされるマーガレット王女と大きく違うと考えさせられますね。

まとめ

『ローマの休日』は、1953年に公開された不朽の名作。

登場するヒロイン、アン王女の年齢は映画では説明されていないが、小説版だと19歳の設定。

アン王女のモデルと言われているのは、英国のマーガレット王女。

アン王女に負けず劣らずの美貌を持ち、魅力にあふれた性格ながら奔放で悲恋に満ちた生涯を送った。

 

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