1992年に公開されたジブリ作品『紅の豚』。
第一次世界大戦後のイタリアが舞台で、アドリア海を飛行艇で荒らす空賊たちを相手に賞金稼ぎをして生きる一匹狼の『豚』が主人公です。
本作のヒロインのひとり、マダム・ジーナは美しい女性ですが謎に包まれたミステリアスな一面も。
マダム・ジーナの年齢は?
モデルになった女性は誰?
ネットの声をまとめました。
(作品のネタバレを含んで作成しています。ご注意ください)
【紅の豚】ジーナの年齢
年齢は不明
そらみんな惚れますわ #ジーナ #紅の豚 pic.twitter.com/y85jI9qWkD
— あんちゃん (@MarieAnchan) November 2, 2018
ジーナの正確な年齢は作品の中では明かされていません。
しかし成熟した魅力的な女性として描かれ、イタリア中の船乗りが恋をするマドンナと言われています。
エンディングではもう一人のヒロイン・フィオから「(時が流れても)ジーナさんはますますキレイになっていくし」とも言われており、年齢不詳のミステリアスな美女という設定のようです。
紅の豚をはじめて観た。ジーナはいい女だよな・・・女は年齢じゃなくて生き方次第で美しくなれるんだ、と理解
— 絢 (@5aya10) July 2, 2010
ファンの多くは「ジーナが何歳でもステキ」「年齢を重ねていても美しい」とその魅力の虜になっていますが、やっぱり本当の年齢も知りたいですよねw
気になる年齢は、彼女の過去から推測することができそうです。
ジーナとポルコ・ロッソは年齢が近い
ジーナは主人公の”紅の豚”ポルコ・ロッソと年が近いことが分かっています。
「あなただけになっちゃったわね。古い仲間は…」
物語冒頭、ホテル・アドリアーノに掲げられたモノクロの写真には、まだ人間の顔だったポルコと友人たちが作った「飛行艇クラブ」のメンバーが写っています。
顔が消されているのがポルコ、中央で微笑む少女がジーナとすれば、彼女の年はポルコと同じくらいか少し年上に見えますね。
ジーナの年齢は37歳~40歳?
ご多聞に漏れず紅の豚見てて、ジーナがカーチスを子供扱いするから、はてマルコやジーナはいくつなんだろうと計算しようとしたら、Wikiに設定年齢載ってた。36歳。マジか。
— noirse (@noirse) November 11, 2016
ポルコは作中で「単独飛行が1910年の17歳の時だった」と語っています。
本作の舞台は1929~1930年頃と言われているため、1910年に17歳だったポルコは1893年生まれ、作中では37歳ぐらいと考えられます。
このことから、ポルコと年が近いと思われるジーナも37歳~40歳ぐらいではないでしょうか?
ジブリファンの間では、ポルコより1歳下の36歳説も根強く支持されているようです。
劇中で言い寄ってくるアメリカの飛行艇乗り・カーチスを「ハリウッドへはぼく一人で行きなさいね」と軽くあしらい、子ども扱いしているところから、ジーナはそれなりの年齢という推測もあるようです。
カーチスも劇中では年齢を明かしていないキャラですが、視聴者の多くは30代~40代の中年だと思っていたよう。
しかし宮崎監督はカーチスを「もっと若い青年」として描いていたとのこと(そうなの?!)そのため36~40歳のジーナもカーチスを「ぼくちゃん」扱いしていたんですね。
【紅の豚】ジーナのモデル
ジーナ・ロロブリジーダ
諸説あるみたいだけど紅の豚のヒロインの1人ジーナのモデルといわれてる女優のジーナ・ロロブリジーダが美しすぎてうっとりする、、、 pic.twitter.com/zjuZqA6jqD
— ピタぱん@今年は絵を描く (@pitapan2525) May 14, 2021
宮崎監督はジーナのモデルを明かしていませんが、ファンの間で「モデルでは?」と言われているのがイタリアの女優であるジーナ・ロロブリジーダさんです。
セクシーでスタイル抜群なジーナさん、名前も同じでまさにモデルといえそうです。
ジーナ・ロロブリジーダさんは1927年生まれ。
ミス・イタリア3位に選ばれた後『愛の妙薬』(1948年)のヒロイン役に抜擢されハリウッドデビュー後も華々しい経歴を重ねます。
また女優業を休止している間は写真家・彫刻家としても活躍。
私生活ではゴシップも多く、セレブ界をにぎわせましたが、現在は大理石を使う彫刻家として暮らしているようです。
ちなみに愛称の「ロロ(Lollo)」はフランス語のスラングで”おっぱい”という意味だとか。
『紅の豚』のジーナはかなりスレンダーなので、そこは引き算したのかもしれませんね。
ジーナさんはその美貌から、当時「世界でもっとも美しい女性」に選ばれたこともあるそう。
1990年には彼女にちなんで「ジーナ ロロブリジーダ」と名付けられた新品種のバラも生まれました。
マレーネ・ディートリヒ
ひとつ考えた。ジーナはマレーネ、デートリヒがモデルだ、という仮説。1901年生まれのマレーネはアメリカのハリウッドも捨て、ヒトラーとも対立した。紅の豚は1930年代、ジーナは30代。アメリカのハリウッド映画への批判は、カーチスとの対話と、ヒトラー嫌いは、ムソリーニへの嫌悪と重なる
— 加藤登紀子 (@TokikoKato) August 30, 2012
ジーナ役を務めた加藤登紀子さんが「彼女のモデルではないか?」と考えているのがマレーネ・ディートリヒさんです。
マレーネ・ディートリヒさんはドイツ出身の女優・歌手。
1901年生まれで『紅の豚』の舞台である1930年にはドイツ映画『嘆きの天使』に出演。
大きく弧を描く細い眉と個性的で退廃的な美貌が絶賛され「100万ドルの脚線美」と称えられるスタイルとセクシーな歌声は世界中のファンを魅了しました。
しかし当時ドイツを支配していたナチス党を嫌い、1939年にはアメリカの市民権を得たため、ドイツでマレーネの映画は上映禁止となってしまいます。
第二次世界大戦中の1943年からはアメリカ軍のUSO(前線兵士慰問機関)の一人として活動。
アメリカ軍兵士の慰問にヨーロッパを回り、反ドイツの立場を取りました。
戦後その功績によりアメリカ・フランス両国から勲章を贈られています。
1950年代に入ると歌手としての活動が多くなり、1975年に引退。
その後の私生活は謎に包まれたまま、1992年に亡くなっています。
「紅の豚」のジーナのモデルとは?
けむに巻いた宮崎駿監督https://t.co/7xFRkXb0JE加藤登紀子
「ジーナは(マレーネ・)ディートリヒがモデルじゃないですか」宮崎駿監督
「さぁ、どうでしょう? ご想像にお任せします」— 紫の豚 (@purplepig01) June 26, 2020
ジーナ役の加藤登紀子さんはマレーネさんの経歴から彼女がジーナのモデルではないかと感じたそうですが、宮崎監督からは「想像におまかせします」と返されたそうです。
…「違います」という答えではないところが意味深ですねw
宮崎監督も加藤さんも同世代で、反体制の活動に参加していたマレーネのこともきっと知っていたでしょう。
ジーナも物語ラスト、ホテルの一室で無線を傍受しポルコとカーチスの決闘にイタリア空軍が出動することをつきとめていち早く知らせます。
政府に反抗する空賊たちのマドンナだったところもマレーネさんを彷彿とさせますね。
越路吹雪(こしじ ふぶき)
紅の豚のジーナは絶対にシャンソン歌手の越路吹雪がモデルになってると思う。アイシャドウまでそっくりだもの。今の若い人が見たら逆にジーナのコスプレと思っちゃうレベルでそのまんま。ちな右の人が亡くなったのが1980年で紅の豚が1992年ね。 pic.twitter.com/D4FM6WnRDe
— 排泄物 (@FrankBaragon) November 22, 2019
越路吹雪さんは元宝塚の男役トップスター。
第二次世界大戦中・戦後にかけて活躍し、不良っぽさの漂う危うい魅力で熱烈な支持を得ました。
戦後「ブギウギ巴里」を大ヒットさせ、1951年に宝塚を退団後は東宝の専属女優としてミュージカルなどに出演したほか、歌手としてシャンソンや映画音楽をカバー。
「魅せる歌手」「(日本の)シャンソンの女王」と称されました。
ジーナの初登場はホテル・アドリアーノでの舞台。
甘く切ない声で『さくらんぼの実る頃』を歌う彼女は、まさに「シャンソンの女王」。
ここから越路吹雪さんを連想したファンも多いようです。
エディット・ピアフ
映画の中でエディット・ピアフの曲がかかり、ふとお登紀さんが思い浮かんだ。
あ、紅の豚のジーナってピアフがモデルなのかな。— mom (@mom_hunter) February 26, 2016
同じくシャンソンの女王であるエディット・ピアフさんも「ジーナのモデルでは?」と言われているようです。
エディット・ピアフさんは1915年生まれのフランスのシャンソン歌手。
フランスでもっとも愛されている歌手の一人であり、国民的象徴でもありました。
傷心的な声で紡がれる痛切なバラードは、聞く人の心を強烈にゆさぶる力を持っています。
彼女も第二次世界大戦ドイツ占領下のフランスで歌いながら、レジスタンス活動に貢献。
多くのフランス兵捕虜たちの脱走計画に力を貸しました。
戦後世界的な名声を得て、ヨーロッパやアメリカ、南アメリカで大々的な公演旅行を行います。
前述のマレーネ・ディードリヒとも親交を深め、生涯にわたって親友となりました。
しかし私生活では1949年に生涯の大恋愛と言われる恋人を飛行機事故で亡くし、1951年には自動車事故にあい、その後深刻なモルヒネ中毒に苦しみ続けます。
その後2度結婚したものの、莫大な借金もあり、波乱万丈な人生を送りました。
この栄光と悲劇こそが、彼女の歌をあらゆる人の胸を打つものにしたと言われています。
『紅の豚』のジーナも、3度飛行艇乗りと結婚し、3度死に別れたと語っています。
その悲劇性が、彼女の影のある美しさにもなっているようです。
エディット・ピアフさんの代表作「愛の讃歌」は恋人を失った後1950年に書かれたもので、1953年には前述の越路吹雪さんもこの歌をピアフ本人のステージで聴いたそう。
生のピアフさんの歌を聞いた時の衝撃を
「ピアフを二度聴く。語ることなし。私は悲しい。私には何もない。私は負けた。泣く、初めてのパリで」
と書き残しています。
その後越路さんは劇団四季とともに「愛の讃歌 エディット・ピアフの生涯」を作り上げ、以降越路さんの十八番として長く愛される作品となりました。
加藤登紀子
お若い方のために説明しときますと、加藤登紀子は、往時の左翼運動家たちのマドンナであり、『紅の豚』のジーナさんのモデルといわれており、「あの頃」を振り返るこの歌を歌っている人です。【紅の豚 – 時には昔の話を】http://t.co/LgDEqA1Pya
— ジロウ (@jiro6663) February 22, 2013
ジーナ役の加藤登紀子さん自身がモデルではないか?という声もあるようです。
加藤登紀子さんも高校生の時に60年代安保のデモに参加するなど、少女時代から学生運動に深い関心がありました。
夫の藤本敏夫さんは学生運動の指導者であり、1972年の勾留中に獄中結婚。
しかし自身の生業はあくまで歌手であり、運動家ではないというスタンスをとっています。
「政治の力だけで世の中を変えるなんておこがましいと思いませんか?」
「むしろ2つに分断されている人々をつなげたい」
という発言もあり、ホテル・アドリアーノの主人としてさまざまな人々を受け入れ、空賊たちにも慕われているジーナとよく似ていますね。
宮崎監督も加藤登紀子さんの活動をよく知っている世代。
ジーナという女性を生み出す時に参考にした可能性はありそうです。
まとめ
『紅の豚』のヒロインのひとり、マダム・ジーナはミステリアスな一面もある美しい女性。
ジーナの年齢は不明で、作中では明かされていない。
彼女の過去から推測すると、ジーナは主人公ポルコ・ロッソと年齢が近いので、36歳~40歳くらいではないかと言われている。
ジーナのモデルになったと言われているのは、諸説あるがイタリアの女優ジーナ・ロロブリジーダ、ドイツの女優であり歌手のマレーネ・ディートリヒ、日本のシャンソン歌手の越路吹雪、フランスのシャンソン歌手エディット・ピアフ、ジーナの声優を務めた歌手の加藤登紀子。
「紅の豚」を見逃してしまった人、もう一度みたいなあ・・・という人へ。
ジブリ作品ってプライムビデオやネットフリックスなどの動画配信サービスでは配信されていないんですよね。
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