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【バケモノの子】敵は誰?一郎彦の考察とネットの感想についても

映画

2015年7月に公開された細田守監督作品『バケモノの子』

バケモノたちの世界「渋天街」(じゅうてんがい)に迷い込んだひとりぼっちの少年・九太(きゅうた)と、バケモノ・熊徹(くまてつ)の親子の絆を描いた作品です。

今作のラスボスともいえる敵は誰なのか?

名前や正体、SNSの感想や考察もまとめました。
(作品のネタバレを含んで作成しています。ご注意ください)

【バケモノの子】敵は誰?

一郎彦(いちろうひこ)

バケモノたちの街「渋天街」の長・宗師の次期候補のひとり、猪王山(いおうぜん)の息子。

年齢は九太よりひとつ上で、二郎丸という弟がいます。

幼い頃から文武両道に優れ、リーダーシップもあり、人望の高い父・猪王山の教えをよく守るなど優等生な性格です。

青年になるとバケモノの世界にある学校(高等教育であり、わずかな者しか受けることができません)で学び、人間の文字も読めるようになるなど更に自分を高めていきます。

また口元を常にマフラーで覆うようになります(かわいい)。

一方で、父と次期宗師の座を争う乱暴者の熊徹や、その教え子の九太には激しい嫌悪を見せます。

ふたりを「はんぱ者」「ひ弱な奴」と呼んだり蔑んだりするシーンが多く、とくに一郎彦が18歳となり、次期宗師を決める闘技試合が迫った時には、九太に対し突然逆上し「何がいい試合だ!人間のお前や、熊徹のようなハンパ者は!ハンパ者らしく分をわきまえろ!!」と暴力をふるうキレやすい若者のような行動に出ます。
(九太は何もできずされるがままです)

この時、九太は一郎彦の胸に「黒い穴」を見つけます。

それは人間界に戻った時に見た、自分と同じ胸の穴でした。

敵役・一郎彦の正体

実は一郎彦は九太と同じ「人間の子ども」だったのです。

九太と同じようにバケモノ・猪王山に拾われ、息子として育てられてきました。

バケモノの世界では人間は忌むべき存在のため、父代わりとなった猪王山は人間であることが一郎彦の人生に悪い影響を与えることを心配し、周囲の者や本人にもそれを隠して来たのです。

しかし成長するにしたがい、尊敬する父親の猪王山と同じように牙や鼻が伸びないことに不安をいだいた一郎彦は、少しずつ自分の正体に気がついていたようです。

熊徹や九太に対し、ことあるごとに「ハンパ者」「ひ弱なやつ」と暴言を吐き、ふたりの親子関係を認めたがらなかったのも、人間の九太を「ひ弱」と否定することで、自分は「弱い人間」ではないという自己暗示をかけているようにも見えます。

また幼い頃から父親に対する憧れや執着が強く「猪王山の息子」だという矜持を常に持っていたのも、裏を返せば「自分は本当の息子ではない」という恐れをずっとかかえていたからだと考えられます。

熊徹と九太に対する攻撃的な態度は、そんな不安を否定するための必死の抵抗だったのかもしれません。

「バケモノの子だと信じさせようとすればするほど、一郎彦は自分自身を信用できずに、闇を深くしてしまったのじゃ」

父への尊敬と、どうしても父のような猪にならない自分の姿に引き裂かれるようにして生まれたのが一郎彦の「心の闇」でした。

彼の不安=「心の闇」は、熊徹と猪王山の闘技試合で、ついに暴発してしまいます。

尊敬する父・猪王山が蔑んで来た熊徹に負けるというショッキングな事態を目の当たりにし、一郎彦はみずからの念動力で熊徹に剣を突き刺すのです。

「アハハハハハハハハハハハ!父上!私の念動力と父上の剣で勝負をつけました!あなたの勝ちです!熊徹みたいな半端者に父上が負けるわけありませんからね!」
(宮野真守さんの熱演にもご注目ください)

口元を覆っていたマフラーがはずれ、素顔があらわになると、そこには長い鼻や牙のない、人間の顔が。

一郎彦が狂気の目で九太をにらみつけると、胸元に黒い穴が出現します。

それは人間だけが持つという『心の闇』。

一郎彦はその闇の力で熊徹にとどめを刺そうとしますが、同じように黒い穴を出現させた九太にはばまれます。

九太はすんでのところで我に返りますが、一郎彦はそのまま闇に取り込まれ、消えてしまうのです。

【バケモノの子】一郎彦についての考察

一郎彦と九太の違いは環境・人間関係

彼の生い立ちや立ち位置からも明らかなように、一郎彦は主人公・九太との対比、”鏡像”としてのキャラクターです。

九太も人間とバケモノのはざまで闇にとらわれそうになりながらも踏みとどまり、暴走する一郎彦と向かい合います。

なぜ九太は「心の闇」に立ち向かうことができ、一郎彦は飲み込まれてしまったのでしょうか?

作中では「ヒロイン・楓にもらったお守り」がキーポイントとなっています。

九太には楓がくれたお守りがあり、それによって自分を取り戻しました。

では一郎彦の周りには、楓のような存在はいなかったのでしょうか?

仕事で忙しい猪王山のことも尊敬していたし、優しそうな母親や素直で天真らんまんに慕ってくる弟・二郎丸もおり、子ども時代には女の子たちとも親しくしていました。

一郎彦はけっして孤立無援ではなく、むしろ九太よりも理解のある人々(バケモノたち)に囲まれていたようにみえます。

そんな頼れる存在に対して、九太と楓、熊徹のような関係性を持てなかったのでしょうか?

とくに一郎彦が人間だと知っているはずの母親なら、情緒不安定な彼に対して、もっと関わってやれたのではないでしょうか?

九太には熊徹との仲を取り持ってくれる百秋坊や多々良がいましたが、鏡像である一郎彦の目はあまりに猪王山ばかりを向いていて、意図的に母親の存在が薄くされているようにも見えます。

一郎彦の不自然な描写

ここからは脚本=神である細田監督への考察になりますが、主人公・九太との対比を明らかにするために、彼にはあった「理解ある仲間との出会い」「心の成長」を、一郎彦には描かなかったのではないでしょうか。

一郎彦にも実の親子ではなくても絆を育める両親や弟がいるのに、九太の成長を描くために、それらが不自然なほど抜け落ちています。

そのため、熊徹や九太に異常に敵対心を持つ、中二病まっさかりのようなキャラクターにされてしまっているのです。

またクライマックスで心の闇にとらわれクジラとなって渋谷を破壊したあと、目を覚ます一郎彦にはその時の記憶がありません。

「都合よすぎる」と批判されているこのエピソードも、神である細田監督の意図的な操作が見られます。

もし一郎彦にこの時の記憶(熊徹や九太を殺そうとしたり、人間界を破壊したこと)があれば、その後自分がしてしまったことについての罪の意識から抜け出せない描写や、その罪をどう着地させるかといった、かなり重要なエピソードを描く必要があります。

しかし、時間の関係か、監督にそこまで描ききる自信がなかったのか、または九太の物語から大きくはずれてしまうことを懸念したのか、一郎彦はあれだけの騒ぎを起こしながら「都合よく」すべてを忘れているという視聴者にとっては納得のいかないエンディングとなっているのです。

「心の闇にとらわれている間にしたことだから罪にはならない」というオチは、物語的には丸くおさまるものの、本当の一郎彦の救済にはなっていない気もします。

本人が忘れていても、周りは覚えていますしね。

監督は九太と熊徹の父子の絆を今作の主題として描いていますが、リアルに感じられるのは”鏡像”である一郎彦の置かれた環境の方であるともいえます。

人間の子どもであっても、自分が常に見守り育てれば大丈夫だと思った父・猪王山。

良き親、良き家族に囲まれていても、コミュニケーションの足りなさが孤独を生み、自分を見失うほどの心の闇に飲み込まれてしまうという現実。

一方、九太には心の闇に飲み込まれそうになるたびに助けの手があらわれます。

本当の父親にも会え(しかも優しい)、楓という女友だちもできます。

ラストでは楓といっしょに勉強をがんばるというリア充ぶりを見せつける九太。

現実ではなかなかこうはいきませんよねw

ある意味視聴者である私たちに近いのは一郎彦ともいえ、ファンが多いのも納得ですね。

【バケモノの子】一郎彦に関するネットの評判

「一郎彦がかわいい・好き」という声が圧倒的に多いようです。

「推せる」「性癖」という人も!

「バケモノの子のヒロインは実質一郎彦」という熱いファンコールもあるようです。

優等生キャラが闇堕ちして主人公に救われるというパターン、王道ですが、良いものですよね!

また青年期の声をあてた宮野真守さんへのラブコールも多いようです。

一方、一郎彦の描写に物足りなさを感じる人も。

愛ゆえの苦言なのかもしれませんね。

脚本次第では、もっと魅力的な人物になっていたかもしれない一郎彦。

ファンにとってはまだまだ熱い推しキャラのようです。

まとめ

細田守監督作品『バケモノの子』の適役は、猪王山(いおうぜん)の息子一郎彦。

一郎彦の正体は、九太と同じ、人間の子供。

幼い頃から文武両道に優れ、リーダーシップもあり、人望の高い父・猪王山の教えをよく守るなど優等生な性格だが、熊徹や、その教え子の九太には激しい嫌悪を見せる。

一郎彦は主人公・九太との対比、”鏡像”としてのキャラクター。

ネットではファンも多く、一郎彦を推す声も多いが描写に物足りなさを感じる人もいる。

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