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【バケモノの子】胸の中の剣の意味は?反論とオマージュ人気漫画についても

映画

2015年7月に公開された細田守監督作品『バケモノの子』

バケモノたちの世界「渋天街」(じゅうてんがい)に迷い込んだひとりぼっちの少年九太(きゅうた)と、バケモノ・熊徹(くまてつ)の親子の絆を描いた作品です。

熊徹が九太に教えようとする「胸の中の剣」とはいったい何でしょうか?

クライマックスで明かされる姿と、SNSの解釈もまとめました。
(作品のネタバレを含んで作成しています。ご注意ください)

【バケモノの子】胸の中の剣とは

『あるだろ、胸ん中の剣が!』
『胸ん中の剣が重要なんだよ!ここんとこの!ここんとこの!!』

熊徹が九太に向かって言うフレーズ。

「心の剣」「胸の剣」とも。

物語序盤、九太と武芸の修行をする熊徹が説いた、彼なりの武芸に対するスタンス。

9歳だった九太にはあまりに抽象的で理解できず、『は?そんなもんあるか』と受け流していました。

しかし、クライマックスでふたたびこの言葉が重要な意味を持ちます。

巨大なクジラと対峙する九太の前に突如あらわれた大太刀。

それは熊徹が付喪神となって転生した姿でした。

『あいつ、お前の胸ん中の剣になるんだとよ』

柄も鞘も傷だらけで使い古されたようなその大太刀は、九太の前に浮かび上がり、そのまま胸の中へと収まっていきます。

『九太!何泣いてんだバカヤロウ!』
『メソメソしてるヤツはキライなんだよ!』

胸の中から響いてくる、懐かしい声。

熊徹の付喪神としての力が、クジラの闇の力を跳ね返します。

『決着をつけるぞ!氣を溜めろ!もっと鋭く研ぎ澄ませ!』

刃から紅蓮の炎が激しく吹き出します。

九太の太刀と熊徹の太刀、二本の剣が闇を切り裂き、クジラは夜の空に消えていきました。

…ラストでは「胸の中の剣」(物理)となってしまった熊徹ですが、序盤で熊徹が伝えようとしたのは「胸の中の剣(のようなもの)」だと考えられます。

【バケモノの子】胸の中の剣の意味は?

自分の大切なもの

本作の主人公・親のいない九太は、バケモノ・熊徹に武芸の稽古をつけてもらうことになります。

しかし熊徹も天涯孤独の身で、子供に教えるのは初めて。

師匠といっても教え方はあまりうまくありません。

「胸ん中で剣を握るんだよ!あるだろ、胸ん中の剣が!」

…分からん!wというかんじですが、多くの視聴者は「胸の中の剣」=「自分の大切なもの」であるという解釈をしているようです。

「信念」「誇り」「家族・仲間」「愛情」「夢」など、大事にしているものは人によってさまざま。

その胸にある「大切なもの」を「剣」にたとえ、戦いの時にはそれをしっかりと握る…。

それが強さになり、どんな戦いの時にも、負けそうな時にも、ブレない力になる…。

というようなことを、熊徹は言いたかったのではないでしょうか?

9歳の時には伝わりませんでしたが、8年後の九太はしっかりとその意味を受け止めたようです。

またその「大切なもの」を守りたい、無くしたくない、という強い思いも力になりそうです。

それを教えてくれた熊徹の「大切なもの」は何だったのか、作中では明かされていません。

でもきっと、「九太」や「仲間たち」、「自分の生き方」など強くてかっこいい熊徹ならではの「心の剣」があったに違いありません。

一方で、

とあるように、ラストで本当の「胸の剣(物理)」にしてしまった脚本は、ストレートすぎてちょっと残念な気もしますね。

今作の「物語のポイントをすべてセリフで説明する」という演出は、実は監督があえて取っている手法であり、視聴者の「考える力」「想像力」を奪っているという批判もありますが、大人も子どもも同じように物語を受け取ることができるというメリットもあります。

「大切なもの」=「心の剣(物理)」=「熊徹」という見せ方は、大人にはあまりにストレートすぎる演出ですが、子どもにとってはとても分かりやすく、「大切なもの」をしっかり理解できますよね。

その結果、このシーンに「感動した」という声が多くなったようです。

熊徹との絆

一方、熊徹の教えを受けた九太にとっての「胸の中の剣」は何だったのでしょうか?

「熊徹との絆」「熊徹との親子の関係」という解釈をしている視聴者が多いようです。

また、「誇り」「強い心」を挙げた人も。

一郎彦がとらわれてしまった心の闇(=クジラ)は、現代人なら誰もが持つもの。

しかし、熊徹や九太のような「胸の中の剣」があれば、その弱さに負けることはないという意見もありました。

クライマックスで九太は胸に宿った剣(熊徹が転生した姿)の力を借り、ともに巨大クジラを打ち倒します。

幼い時からいっしょに過ごし、本当の親子のような絆を結んでいたふたりだからこそ、大きな闇にも立ち向かうことができたのでしょう。

九太が感じていた「空っぽな自分」「胸に開いた穴」を、熊徹(剣)が埋めていく、というシーンも「感動した」という声が多く、「人間にだけあるという『心の闇』を、バケモノであり父でもある熊徹が埋めてくれる」、救いのあるシーンになっています。

今作で細田監督が描きたかったもののひとつである「親子関係」。

親の立場の人も子どもにとっても、心に響く作品だったようです。

【バケモノの子】心の剣に対する反論

一方で、「胸の中の剣」の描写に対するモヤモヤがあるという人も。

熊徹と九太はお互い天涯孤独の身の上であり、境遇がよく似ています。
(九太にはのちに実の父親があらわれますが)

そんなふたりが出会い、ぶつかりながらも成長し、本当の親子のようになっていく―。

熊徹はすでに「胸の中の剣」をしっかりと持っており、それを九太にも伝えようとしています。

しかし、バケモノである熊徹には、もともと戦うべき『心の闇』がありません。

人間である九太や一郎彦は『闇』をかかえたうえで「胸の中の剣」を手に入れなければならないのですが、熊徹にそれを教えることができるのでしょうか?

熊徹と九太が「心の剣」を手にした前提条件が違うため、深く考察すると、「??」となってしまうようです。

「脚本力の低さ」が指摘される細田作品ならではの解釈のしにくさがあるのかもしれません。

【バケモノの子】人気漫画のオマージュ?

今作の監督・細田守さんは、『少女革命ウテナ』(1997年)に「橋本カツヨ」名義で絵コンテを制作しています。

そのためか、「胸の中の剣」や「胸に吸い込まれる剣」の描写に「懐かしい」と感じるファンがいるようです。

『ウテナ』でも「剣」は重要な意味を持つアイテムです。

「薔薇の花嫁」アンシーの胸から取り出される剣は「ディオスの剣」と呼ばれ、ウテナはこれを手にしてデュエリストたちと決闘します。

「ディオスの剣」はかつてディオス(王子さま)が持っていた「理想」が形になったものと言われています。

今作の「胸の中の剣」=「大切なもの」と考えると、「理想」もまた当てはまりそうですね。

また、人気少年漫画『BLEACH』にも似ているとの声も。

『BLEACH』での「剣」は「斬魄刀(ざんぱくとう)」と呼ばれ、死神たちが武器として使っています。

死神の霊力で出来ており、それぞれ固有の名前と姿を持ち、意志があります。

死神たちが戦う「虚(ホロウ)」には胸に穴が空いており、「心をなくしている」ことのあらわれという設定です。

この空いている穴の渇きを埋めるために人間の魂を食らうので、『バケモノの子』のクジラとやや近いような気もしますね。

まとめ

映画『バケモノの子』の中で使われる「胸の中の剣」の意味は、自分の大切なもの(「信念」「誇り」「家族・仲間」「愛情」「夢」など)の解釈であるという意見と、「熊徹との絆」「熊徹との親子の関係」という解釈をしている視聴者が多い。

一方で、「胸の中の剣」の描写に対するモヤモヤがあるという人もいる。

人間である九太は「心の闇」を持っているが、バケモノである熊徹には、戦うべき『心の闇』がないため、『闇』をかかえたうえで「胸の中の剣」を手に入れなければならないということを教えることができるのかというもの。

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