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【鬼滅の刃】煉獄(れんごく)と猗窩座(あかざ)の対比・比較!関係性やネットの評判も

鬼滅の刃

TVアニメ・劇場版が大ヒットとなり、社会現象にもなった『鬼滅の刃』。

『遊郭編』のアニメも12/5からの放送が決まり、ますます期待が高まっていますよね。

『劇場版・無限列車編』の主役ともいえる炎柱・煉獄杏寿郎(れんごく きょうじゅろう)とラスボス・猗窩座(あかざ)は、さまざまなところが対比するキャラです。

いったいどんなところが対になっているのか、ネットの評判もまとめてみました!
(最終巻までのネタバレを含んで作成しています。ご注意ください)

【鬼滅の刃】煉獄と猗窩座の対比・比較

調べてみると、かなり細かいところまで対になっている煉獄さんと猗窩座。

それぞれの対比・比較をまとめました。

イメージカラーが赤(炎)と青(雪)

劇場版のラスボスとして登場する猗窩座(あかざ)。

炎柱・煉獄さんを象徴する「赤」と対になるような「青」が猗窩座のカラーです。

また技のエフェクトも「雪の結晶」がモチーフになっており、「炎」の剣技の煉獄さんとの対比が美しいコントラストになって闘いをいろどっています。

この雪のエフェクトは、猗窩座の婚約者・恋雪(こゆき)を表しているという考察もあるようです。

また、歌舞伎には「赤」と「青」の対比に意味があるそうで、

劇場版の主役ともいえる煉獄さんが「赤」、悪役である猗窩座が「青」というのはそれぞれの役柄を表しているとも考えられそう。

色の対比だけとっても、奥が深いですね!

剣技と素手の格闘

炎柱・煉獄さんの技はもちろん「日輪刀」を使った「炎の呼吸」の剣技。

対して猗窩座は素手での格闘を得意とする鬼です。

劇場版の第三弾キービジュアルでは、燃え上がる日輪刀をかざす煉獄さんに徒手空拳で挑む猗窩座が描かれています。

剣と拳は普通ならありえない対決ですが、上弦の鬼である猗窩座は日輪刀を持つ”柱”に対しても拳で圧倒的な強さを見せつけます。

しかし戦いのクライマックスには、猗窩座の拳を煉獄さんが同じく素手で受け止めるという胸熱なシーンも。

剣と拳という対比がありつつも、傷ついている煉獄さんが無傷の猗窩座を同じ拳で受け止めるという、煉獄さんの強さが際立つ場面になっています。

人間の治癒能力と鬼の再生能力

「人間」と「鬼」の決定的な違いは、肉体の再生能力。

鬼である猗窩座は日輪刀で頸を落とされない限り、どんな致命傷を負ってもすぐに再生できます。

腕や足を落とされてもまた生えてきますし、深手を負っても回復するので行動不能になるほどではありません。

日光に弱いという弱点はありますが、ほとんど無敵です。

対して人間である煉獄さんは、攻撃を受ければ血が出るし骨が折れ、痛みもあります。

戦いの中でそれが回復することはありません。

”柱”であっても特別な治癒能力はなく、血を大量に失えば死に至るという、普通の人間なのです。

満身創痍の煉獄さんを見て猗窩座は哀れみ、「鬼にならないか」と誘います。

「鬼になれば永遠の若さと命を手に入れられる」
「強さをもっと極められる」

しかし煉獄さんは即座にそれを拒絶しました。

「老いることも死ぬことも 人間という儚い生き物の美しさだ」
「老いるからこそ 死ぬからこそ たまらなく愛おしく、尊いのだ」

戦う上ではほとんど同等の強さを持つ猗窩座と煉獄さんですが、猗窩座は若さと永遠の生に固執し、煉獄さんは老いも死も受け入れるという対比になっています。

価値観の対比

煉獄さんVS猗窩座戦は、ふたりの価値観の違いもはっきり比較されていました。

「強い者は弱いものを虐げてもよい」「弱いものは死ぬべき」という猗窩座に対し、「強い者は弱いものを助けるためにある」という明確な信念を持っていた煉獄さん。

それは亡き母親が死ぬ間際に遺した、「強き者の責務」でした。

煉獄さんはその言葉どおり、列車の乗客と炭治郎たち剣士を最期まで守り抜きます。

ただ「強さ」のみを追求し、「自分」が強くなることだけに力を注いできた猗窩座と、自分の「強さ」を「他人」のために使い続けた煉獄さん。

ふたりの決定的な違いは、この作品のテーマともいえる深いものですね。

ふたりの過去の対比

劇場版の中で少しだけ明かされた煉獄さんの過去。

酒びたりの父親に”柱”になった報告をした煉獄さんは、「どうせ大したものにはなれない。俺もおまえも」と冷たく突き放されます。

弟は心配しますが、「おまえには兄がいる。兄はおまえを信じている」と逆に強く励まします。

母親の言葉をしっかりと胸に刻んでいた煉獄さんには、父親にうとまれても信念を貫くという心の強さがありました。

父に認められない寂しさはあっても、それにとらわれずに前を向き、炎柱という役目を果たし、最期は炭治郎たち後輩に未来を託して死を受け入れます。

対して、猗窩座にも悲しい過去がありました。

単行本18巻で、猗窩座の人間時代のストーリーが明らかになります。

猗窩座は自分が盗みを繰り返すせいで父親が自殺しており、またその後自暴自棄になって暴力沙汰ばかり起こしていたところを、とある道場の師範に救われます。

まっとうに生きるようになった猗窩座は、師範の信頼もあつく道場を継いでくれと言われるほどの実力も身につけました。

師範の娘・恋雪(こゆき)から逆プロポーズを受け、幸せな生活が続くかと思われましたが、隣の道場の息子が恋雪に横恋慕し、また立派な道場を持っていることに嫉妬して、猗窩座の道場の井戸に毒を入れ、師範と恋雪を毒殺したのです。

怒り狂った猗窩座は隣の道場の関係者67人を素手で撲殺し、その強さから無惨に目をつけられ、鬼となりました。

劇場版では猗窩座の過去が明かされないため、「ふたりの過去」が対比になっていると考察したのは原作ファンが多いようです。

「人を守る」ことに関しても、はっきりと対比させられている煉獄さんと猗窩座。

「守り切った者」と「守れなかった者」、「過去にとらわれず未来を託した者」と「過去に悔いを残し未来に絶望した者」。

そして逃げる猗窩座に対し炭治郎が投げつけたセリフが、さらに猗窩座と煉獄さんの違いを決定づけています。

「煉獄さんは負けてない!!誰も死なせなかった!!」
「戦い抜いた!!守り抜いた!!」
「お前の負けだ!!煉獄さんの勝ちだ!!」

これは猗窩座にとって相当キツい言葉だったに違いありません。

ふたりの結末の対比

『無限列車編』で最終的に煉獄さんは死亡し、猗窩座は逃亡します。

結果だけ見れば煉獄さんの負けとも思えますが、それだけではないふたりの対比があります。

あれだけ強い者との闘いに固執していた猗窩座ですが、朝日が昇り始めると別人のようにあわてて逃げようとします。

鬼は少しでも日光に当たると体が崩れ、死んでしまうからです。

強いこと、永遠に強くなり続けることに価値を見出していた猗窩座は、「死」をとても恐れていました。

しかし煉獄さんは「死」に対してもまるで恐れずに、最期まで「強い者の責務」をまっとうしようとします。

猗窩座は逃したものの、列車の乗客や炭治郎たち後輩の剣士は守り切り、最期は懐かしい母親と再会して安らかにこの世を去ります。

「死」を受け入れ、おそらく悔いなく人生を終えた煉獄さんに対し、猗窩座は「死」に向かい合わず逃げ出し、命をつないでいます。

結果としては勝ったものの、炭治郎の言葉にも反論できず、視聴者には「生きぎたない」「無様な逃亡」のように映ります。

煉獄さんのラストと、はっきりとした対比がされていますね。

『無限列車編』で逃げ出した猗窩座ですが、最終決戦の『無限城』では炭治郎・義勇と再戦します。

炭治郎に頸を切られ、それでも胴体だけで闘おうとする猗窩座を、かつての婚約者・恋雪が引き止めます。

「ごめん ごめん 守れなくてごめん」
「大事な時傍にいなくてごめん」
「約束を何ひとつ守れなかった…!!」
「許してくれ 俺を許してくれ 頼む」
「許してくれ…!!」

「死」を前にしてはじめて自分の過去に向き合い、弱かった自分を認めた猗窩座。

猗窩座が鬼になった時に執拗に強さを求めていたのは、「強くないと誰も守れない」という感情が無意識に残っていたからかもしれません。

また「弱い奴が嫌い」と言っていたのも、本当は「弱い自分が嫌い」だったとも言われています。

恋雪はそんな猗窩座に優しく語りかけます。

「私たちのことを思い出してくれて良かった」
「元の狛治(はくじ・※猗窩座のこと)さんに戻ってくれて良かった…」
「お帰りなさい あなた…」

ふたりが業火に包まれると同時に、猗窩座の体は崩れ、消えていきました。

「強くなる」という妄執を捨て、「死ぬこと」から逃げ出さなかった猗窩座は今度こそ安らかに生をまっとうできたのかもしれませんね。

まとめ

『劇場版・無限列車編』の主役ともいえる炎柱・煉獄杏寿郎とラスボス・猗窩座(あかざ)は、さまざまなところが対比するキャラ。

煉獄と猗窩座の対比は、イメージカラーが赤(炎)と青(雪)・剣技と素手の格闘・人間の治癒能力と鬼の再生能力・価値観の対比・ふたりの過去の対比・ふたりの結末の対比など。

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