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【千と千尋の神隠し】カオナシの正体は?千を欲しがる理由も

映画

2001年に公開された『千と千尋の神隠し』。

日本のさまざまな神様・霊たちが集合する大ヒット作品ですが、中でも人気が高いのが”仮面の男”ことカオナシ。

謎の多いカオナシの正体はいったい何?
千を欲しがる理由は?

ネットの考察もまとめました。
(作品の重大なネタバレを含んで作成しています。ご注意ください)

【千と千尋の神隠し】カオナシの正体

正体は謎

カオナシの正体は、ジブリの公式サイトでも明示されていません。

しかし宮崎監督はカオナシについて聞かれた際、

「カオナシなんて周りにいっぱいいますよ」
「魔物と神様は紙一重ですから。ましてこの映画の舞台は湯屋です。扉を開けておけば、いろんなものが入ってくるんです」

と答えています。
(『ロマンアルバム 千と千尋の神隠し』より)

この「周り」というのが、映画の中での千尋の「周り」なのか、私たちがいる現実世界の「周り」なのか…。

もしかしたら両方なのかもしれません。

また、「現代の若者をあらわしているという印象を受けた」という問いには「特にそう思って作ったわけじゃないです」と否定。

「カオナシという名前もお面があるだけで、あとは何を考えているのか、何をしたいのか分からない…。表情もほとんど変わらないからああいう名前にしただけなんです」

と、とくに若者の暗喩として作り出したキャラではないとのこと。

ファンの間で考察がはかどるカオナシの正体ですが、制作側はそこまで深いキャラクター性を持たせていないのかもしれません。

しかし意味深なひとことも。

「でも本当に、ああいう誰かとくっつきたいけど自分が無いっていう人、どこにでもいると思いますけどね」
(『ロマンアルバム 千と千尋の神隠し』より)

…なかなか強烈な皮肉ですw

それでもカオナシの正体がさまざまに考察されるのは、それだけ魅力的に描かれているキャラクターとも言えますね。

カオナシはこんなキャラ

黒い影のような体に、無表情のお面をつけたような姿をしています。

はじめは千尋がハクとともに油屋に向かう橋の上でただ立っているだけのキャラでしたが、物語が進むに従って準主役ともいえるポジションにつきました。

『千と千尋』に登場するのは八百万(やおよろず)の神と言われているように、同じ神でもその姿や性格は千差万別。

優しく穏やかな神さまもいれば、ユニークな姿かたちをした神さま、恐ろしい魔物や妖怪に近い神さまもいるようです。

その中でカオナシは千尋と同じく「異分子」であり、招かれざる存在だったようです。

作中で蛙男や湯女を飲み込み、食べても食べても満足できないほど膨らんだカオナシは、仏教説話に登場する「餓鬼」のようでもあり、自分自身の顔を持たないところは「のっぺらぼう」のようでもあります。

そして、あらゆるごちそうを食べ続けるカオナシの部屋に千尋が向かうシーンの絵コンテには、「神の嫁」という表現があります。

古来より、日本人が「神」を迎え入れる場合には、相手が荒ぶる「好ましからざる神」であることも覚悟しておかなければなりませんでした。

神の暴走を鎮めるためには、美味しい供物や、時には人間を人身御供として捧げることもありました。

この時カオナシは招かれた「好ましからざる神」、千尋は神の暴走を食い止めるための生贄・「神の嫁」として描かれていたのかもしれません。

「神様と魔物は紙一重」という宮崎監督の言葉がぴったりくるシーンですね。

カオナシの正体の考察

宮崎監督によると、明確な意図があって作られたわけではないカオナシ。

しかしネットではさまざまな考察が行われています。

なかでも多くの支持を集めている考察をまとめてみました。

人間の欲望の具現化

もっとも多く考察されているのが、「カオナシは人間の欲望の具現化」というもの。

金(きん)で物事を解決しようとしたり、群がる人々を利用しようとしたりととても分かりやすい描かれ方をしています。

千尋にも砂金を見せて誘っていましたよね。

また際限なく物を食べ、欲望のままにどんどん膨らんでいく様子は、まさに「醜い欲の象徴」にも見えます。

子どもの時には怖いだけだったカオナシの暴走も、大人になって見ると深い暗喩のように感じられることもありそうです。

現代の若者をあらわしている

宮崎監督は否定したものの、根強く支持されているのが「カオナシは現代の若者の象徴」という説。

自分の顔を持たず、自分の言葉では語れず、他人といっしょにいたいけれどコミュニケーションはうまくとれない…。

またお金を価値観の基準としたり、思い通りにいかないと暴れ出すというところも今どきの若者に似ていると言われています。

今作は約20年前の作品ですが、カオナシの描写は2022年の若者たちにも当てはまっているように感じられますね。

カオナシはサタン・マモン

千尋を金で誘ったところから、キリスト教において荒野で修行中のイエス・キリストを誘惑した悪魔(サタン)ではないか?という考察や、金を欲しがる欲望にまみれた者に罰を与える神様ではないか?という説もあるようです。

また海原電車のシーンで、千尋の隣に座るカオナシ。

夜になり窓の外をネオンが通り過ぎていくと、そのうちのひとつに「サタン」の文字が!

気づいたファンはすごいですね。

スタッフの遊び心かもしれませんが、こちらもかなり説得力があります。

また同じくキリスト教における「七つの大罪」のひとつ、「強欲」を司る悪魔・マモンではないか?という説も。

マモンは「富・金への執着の擬人化」として描かれ、現代でも「拝金主義」や「拝金主義者」などの英語の語源となっています。

ニセモノの金を生み出し、人を操ろうとするところがまさに悪魔ですね。

居場所が欲しいという感情そのもの

カオナシは「人間の寂しい心そのもの」という説もあるようです。

物語序盤、橋の上で誰にもかえりみられることなく、ただ立っているカオナシ。

周りの人物や風景が極彩色に彩られている中、黒い姿で仮面をつけたカオナシは「異端」であることを感じさせます。

誰にも話しかけられず、居場所もなく、ただそこにいるだけの存在。

自分が何者なのか自分でも分からない。

自分の言葉ではうまく話せず、寂しくてたまらないのに、人には拒絶されてしまう…。

存在意義が欲しいのに、どうすれば良いのか分からない。

そんな寂しい気持ちを、誰でも一度は感じたことがあるのではないでしょうか。

カオナシに ほとんどセリフがないのにも関わらず、多くのファンの共感を呼び、考察が繰り返されているのは多かれ少なかれ自分に重なる部分があるからかもしれません。

カオナシが銭婆(ぜにーば)のもとで穏やかに暮らせるようになるエンディングは、「誰でもいつか居場所が見つかる」というメッセージなのかもしれませんね。

宮崎監督の社会批判

宮崎監督による現代社会への批判では?という考察もあるようです。

カオナシについては「そこまで考えて作ったキャラではない」とのことですが、監督がそれまでに触れ、体験してきたさまざまなものが豊かに濃縮されている『千と千尋』の世界観。

無意識のうちにそういった批判精神が反映されている可能性もありそうですね。

カオナシが千を欲しがる理由

自分に居場所を与えてくれそうだから

カオナシははじめ、橋の上で誰にも見向きをされず立っているだけの存在でした。

しかし千尋はカオナシを見つけます。

カオナシも、ハクの術で気配を消していたはずの千尋に気づいていました。

この時点では、ふたりはこの世界での「異分子」「異端」という共通点があったのです。

そこでカオナシは、自分と同じ”この世界で居場所のない”千尋に興味を持ち、後をつけるようになったのかもしれません。

しかしその後、千尋は油屋で働くという”自分の居場所”を見つけます。

また雨の中、庭でたたずむカオナシを見て客と勘違いし、中へ招き入れてしまいます。

この親切な行為によって、カオナシは千尋に対し「自分の居場所」「自分を認めてくれる存在」と感じ、執着するようになったと考えられます。

カオナシは千尋に接近しようと薬湯の木札を貢いだり、金の扱いで揉める皆を見てニセの金を作り出したりして千尋を誘います。

しかし千尋には、そんな俗物的な欲がありませんでした。

金を「欲しくない。いらない」と拒否し、言いなりにならない千尋。

カオナシはそんな千尋を他の者のようには飲み込まず、ひたすら金を受け取るように迫ります。

欲望のない千尋が不思議で、ますます手に入れたくなったのかもしれません。

同じ「異分子」だった千尋にシンパシーを感じ、また自分の思い通りにならないことに苛立って暴走したものの、最後は素直に千尋についていきます。

千尋が「自分の居場所だから」「自分に居場所を与えてくれそうだから」と感じていたからではないでしょうか?

千尋がいい人そうだから

そのほか、「千尋のことをいい人だと思ったから」という意見もあるようです。

カオナシには自我がなく、それを獲得するためにいろいろなものを欲しがるという声も。

千尋ははじめはカオナシと同じく「異分子」で無気力。

自分というものをもっていませんでしたが、少しずつ変わっていきます。

そんな千尋を手に入れれば、自分も千尋のようになれる…。

カオナシがそう考えた可能性もありますね。

千尋が欲しがってくれないと存在できないから

逆説的に「千尋が欲しがってくれないと、あの世界で存在できないから」という考察もあるようです。

もともとカオナシは、橋の上でただ立っているだけの存在でした。

しかし千尋が会釈をし、コミュニケーションをとってくれたことで油屋の庭まで移動しています。

そして開けた窓から招かれることで、油屋の中に入り込めました。

カオナシの行動は常に受け身で、「誰かがそうするように働きかけること」で成り立っているようです。

つまり、誰かが自分を求めてくれないと行動も存在もできなくなり、油屋では存在意義=居場所がなくなります。

また橋の上に戻らないといけなくなる…と考えれば、自分を「欲しがる」ように金をバラまいたり、千尋に対し「自分を欲しがれ」と異常な執着をみせるようになったりしたのかもしれません。

恐ろしいと同時に、少し悲しい存在でもあるカオナシ。

銭婆の元で心安らかに暮らせるようになったのは、カオナシにとって救いだったのかもしれませんね。

まとめ

カオナシは「千と千尋の神隠し」に出てくる人気のキャラクター。

カオナシの正体は謎。

カオナシの正体はネットでもよく考察されていて、人間の欲望の具現化・現代の若者をあらわしている・サタン・マモン・居場所が欲しいという感情そのもの・宮崎監督の社会批判などと言われている。

カオナシが千を欲しがる理由は、自分に居場所を与えてくれそうだから・千尋がいい人そうだから・千尋が欲しがってくれないと存在できないからなど。

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